高木です。
『ガリバー旅行記』の朗読と筆写に取り組んできたわけですが、
今日で第三部「空の国(ラピュータ)」篇を読了しました。
ガリバーがイギリスに帰る直前に最後に立ち寄ったのは、みなさんご存知、
「日本」でした。
「ああ、江戸ね!」とM君。うれしそうです。
ガリバーはある事情から自分をオランダの商人であるといつわりますが、
当時、日本に入国するオランダ人は「踏み絵」を通過しなければなりません。
ガリバーが「踏み絵」をやんわり拒むと、皇帝はガリバーをクリスチャンではないかと怪しみます。
しかし最終的には、ガリバーが持っていたラグナグ国王から日本の皇帝に宛てた親書が、ガリバーを救います。
日本国の皇帝は、異国の商人一人をクリスチャンとして断罪することよりも、ラグナグ国との国交を優先したのです。
その後、ガリバーは「ナンガサク(長崎)」へと移動し、
そこから船に乗って、喜望峰をまわってイギリスへ帰りました。それは「実に五年六ヶ月ぶりであった。」
実は、M君とH君は「日本」に訪れるのを前々から楽しみにしていて、
今日、ようやくそれが叶ったのでした。
こうして「空の国」篇を読み終えたわけですが、
この第三部についてM君は、戦いのシーンがなかったことが、少々不満だったようでした。
第一部のリリパット国(小人の国)、第二部のブロブディナング国(巨人の国)ではどちらも戦いのシーンがあったし、
また空飛ぶ島ラピュータを題材にした宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』でも戦闘シーンがあった。
でも第三部にはいっさい戦いが出てこない。
そのように言うM君の着眼点には、「言われてみれば確かにそうだ」と納得させられるところがありました。
たしかに、第三部には戦闘シーンが無く、躍動感に欠けるところがあるようにも思います。
あるいは、それまでは「目に見える」戦いだったものが、「目に見えない」精神的な駆け引きへと移ったのでしょうか。
しかしこうした気持ちが原動力になって、M君は、いま自分が書いている現代版のガリバー旅行記で、
第一部・第二部を引き継ぐような戦いのシーンをダイナミックに描いてくれているのだと思います。
H君は「ラガードの研究所が一番面白かった!」のだそうです。
研究室がずらっと並んでいて、その部屋のひとつひとつで、
だれも考えたことのないような面白い研究が進んでいる。
その研究自体も面白いし、
そういう研究が、それぞれの部屋にきっちり収納されていて、それが連なっている、という感覚がいい、
とのことでした。
「ひみつ道具」を作るときもそうですが、H君には空想科学的なロマンを解する精神を感じます。
また、たんに研究自体が面白い、というだけではなく、
そんなものすごい研究が、ひとつひとつの部屋にコンパクトに収まっている様子が面白い、
というH君の視点は、書かれていないことを読む、という想像性において、非常に独創的だと思いました。
それは、標本箱を愛でる感覚に通じるのではないかと思い、少なからず共感しました。
次は、第四部「馬の国(フウイヌム)」に進みます。
M君もH君も、第三部を読み終えた瞬間から次のページをめくって、興味津々のようでした。