高木です。
この作文のクラスで今回から継続して取り組んでいくのは、大まかに言うと次のようなことです。
①なにかを読んだり観たり聴いたりして、②その内容についてディスカッションをし、③与えられた、あるいは自分で見出した問いについて作文をし、④その作文を発表する。そして、⑤その作文の技術的な側面を確認しつつ、作文の内容について議論を深め、⑥それをふまえてもういちど作文する。このような流れでクラスを進めていきたいと思っています。
①の素材は、できるだけ幅広くとりあげます。さまざまな表現に触れることは、自分の世界を拡げ、その表現の糧になるでしょうし、またそれによって多様な視点から物事を判断・分析できるようになると期待するからです。見たことのないものに柔軟に対応でき、興味を持て、感動できること。また既に知っているものを新しい視点で切り取り、そこに「なぜ」を見出せること。こうしたことが、作文の根本的な動機付けになるのではないかと、私は思っています。
さて今回は、岡崎弘明の『自転する男』という短編小説をとりあげました。文庫版で2ページほどの、ほんの短い小説なので、クラスの時間内に一緒に読んで、その感動が冷めないうちに議論することができました。
ある夜ふけの町の路上で、青年がひとり、靴をちょこちょこと動かし、その場で回転している。よく見るとその青年は、さらに横にも移動している。実は青年は、回転運動をしつつ、大きな屋敷を垣根に沿って周回しているらしい。そして青年は「二週目に入った。/ 青年の軌道の中心点となる屋敷を見ると、二階の窓から若い娘が顔を出していた。彼女はとても美しく、星明かりの下で太陽のようにまばゆく輝いていた。それを見て、これは惑星を気取った青年の愛情表現だと理解した」。
文章中のわからない言葉は自分で意味を調べてもらっています。「軌道」には、①車の通る道、②天体の運行する道、③物事が計画に沿って進む道筋、という3つの意味がありますが、最初K君は、この場合は③の意味だと主張していました。それで意味が通らないこともありませんが、しかしまず青年は、一体ここでなにをしているのでしょうか。自転と公転の図を描いたり太陽系の話をしたりしているうちに、惑星を気取る、ということの意味が、つまり青年は声の届かない相手の女性に「あなたは僕の太陽だ」と伝えていることが理解されます。「そうか、2番の意味か!」と議論の末に自分で気づいたときのK君の喜びの表情には、何にも代え難いものがありました。
しかし彼女は、と物語は続きます。「ふんと言って窓を閉ざしてしまった。その途端、青年は軌道を離れ、彼女の家へと突進していった。/その後、どうなったか私は知らない」。
その後どうなったのでしょうか。短編小説の面白さは、詩のそれにも通じて、読者が余白を想像=創造できるところにあります。議論は尽きず、時間となりました。
来週は、こうした議論をふまえて、この小説について自分が面白いと思った点、またそれがなぜ面白いと思ったのか、ということを作文してもらう予定です。
文章中のわからない言葉は自分で意味を調べてもらっています。「軌道」には、①車の通る道、②天体の運行する道、③物事が計画に沿って進む道筋、という3つの意味がありますが、最初K君は、この場合は③の意味だと主張していました。それで意味が通らないこともありませんが、しかしまず青年は、一体ここでなにをしているのでしょうか。自転と公転の図を描いたり太陽系の話をしたりしているうちに、惑星を気取る、ということの意味が、つまり青年は声の届かない相手の女性に「あなたは僕の太陽だ」と伝えていることが理解されます。「そうか、2番の意味か!」と議論の末に自分で気づいたときのK君の喜びの表情には、何にも代え難いものがありました。
しかし彼女は、と物語は続きます。「ふんと言って窓を閉ざしてしまった。その途端、青年は軌道を離れ、彼女の家へと突進していった。/その後、どうなったか私は知らない」。
その後どうなったのでしょうか。短編小説の面白さは、詩のそれにも通じて、読者が余白を想像=創造できるところにあります。議論は尽きず、時間となりました。
来週は、こうした議論をふまえて、この小説について自分が面白いと思った点、またそれがなぜ面白いと思ったのか、ということを作文してもらう予定です。
Kくんにとって、じつに印象深い時間でしたね。それをもとにして次回は言葉で表現する、と。日本語で書くとあいまいですが、英語で言えば、impression / expression (印象・表現)は対になっています。みかんに両手で圧力を加えるとどこかで中の果汁が外にむかってほとばしるように、まずは中に(im-)力を加えることが先決です。そうすればある段階でかならず外に(ex-)力強く表現は向かいます。授業の時間内に文字にする段階にたどりつかなくても、K君の満足した表情は雄弁になにかを表現していた、という言い方は可能なのでしょう。