「山びこ通信(2014年春学期号)」より、クラス便りを転載致します。
『ことば』(5〜6年) 担当:梁川健哲
ことばクラスは今学期、初めて担当させて頂くこととなりました。6年生Iちゃん、S君、5年生H君の3人と過ごしています。どの生徒さんとも顔なじみでしたが、特にH君とはクラスで直に接するのは初めてでしたし、3人と初めて出会うような気持ちで、初回クラスは自己紹介の作文からはじまりました。ピアノが何より大好きで、人を助けたり元気にさせる仕事をしたいというIちゃん。詩作や、漢字を読むことが得意で、保育士になりたいS君。スポーツが得意で、将来の夢はロボットクリエーターか料理人というH君。3人とも堂々と作文を発表し、自然と拍手が湧き起こる、印象的なスタートとなりました。
息を吸って、吐くように、言葉を介した入出力を行う時間。クラスを漠然とそのように捉えていますが、私なりに最初に考えたことは、山の学校の自然豊かな環境を最大限に活かし、体を使うことです。何だか「しぜん」クラスや「かいが」クラスの話のようですが、「ことば」にもすんなりと当て嵌る気がします。じっと椅子に座っている時と、青空の下歩き回っている時、森のなかに佇んでいる時とでは、吸い込むもの、吐き出すものの質が変わってくるはずです。そうした違いを無意識にでも感じられたら、考えたり、あらわしたりすることの楽しさや、奥行きが広がるのではないかと思うのです。
実は、既にほぼ3人ともが俳句づくりを通して、そのことを体験的に知っています。実際、春の園庭を歩き回りながら、3人から言葉が溢れてくることに感心しました。その他の取組としては、例えばある時は「へそ」(谷川俊太郎)という詩を読んでおいて、外で腹式呼吸を試してみたり(これには伝えたいことにまだ続きがあります)、ざわざわと風の吹く森の中で、森の奥が舞台となる「注文の多い料理店」(宮沢賢治)や、時空を超えて色々な音が聞こえてくるような「みみをすます」(谷川俊太郎)という詩を皆で朗読してみたりしました。『吾輩は猫である』(夏目漱石)を導入に用いたあと、人ではない何か(もの/いきもの)に成りきって作文してみる、ということもしました。いきなり作文というのは少々難しかったようで、男の子二人は園庭で考えを巡らせたり、私とあれこれ話し合ったりしているうちに、その日は終了時間が来てしまいましたが、二人とも既に俳句の形でそのことを実践してくれていたのだということを、後になって伝えました。Iちゃんは、想い入れの強い「ピアノ」目線で、弾き手の少女(自分自身)との歩みを綴る力強い文章を書き始めてくれています。
3人の波長のようなものを手探りで感じながら、暫くは色々なものを散りばめたクラスが続くと思いますが、表現することにおいては、詩や作文、物語作りなど、何かそれぞれにぴったりとくるものに突き進んでもらえるよう、導きたいです。
また、1年間かけて、長編小説を読むという取り組みも、継続していきます。これには『光車よ、まわれ!』(天沢退二郎)をひとまず選ばせていただきました。冒頭からちょっぴり怖くてドキドキする話ですが、主人公は同じ小学校高学年の少年少女です。読み始めた日、第一章を、クラス終了までかけて読みきってしまいました。次回、第二章を読み進めながら、このまま冒険を続けるか、引き返すかを皆さんに訊ねたいと思います。