福西です。
30日や31日など、月の最後を「みそか」といいます。その中でも12月31日は12か月の最後。なので「大みそか」です。「大きい」という言い回しに、生徒たちも「知ってる!」と応じていました。
では、ちょうど半年に当たる6月30日は何の日でしょうか? この日はそんな話から入りました。
京都の町中を歩いていると、時々「夏越祓」というポスターを見かけます。「なんなのかな?」と前から疑問に思っていたのですが、紀貫之の『貫之集』に、夏越祓、六月祓と題した和歌がいくつか出てくるのを目にして、私もようやく「それ」と知りました。「茅の輪(ちのわ)」という大きな輪っかをくぐったり、人形(ひとがた)を川に流したりして、半年分のたまったけがれを落とす行事のことだそうです。
「水無月、食べたことある!」と生徒が言ってくれました。まさしくそれも夏越祓のイベントです。また、M君も人形を川に流すことを何かで見て知っていたようでした。
けがれを落とすのに、年に1回(大晦日)では足りないから2回に分けるという発想を、昔の人がしていたことが、どこか面白くはありませんか?
六月(みなづき)の なごしの祓(はらえ) する人は
千とせの命 のぶといふなり──よみ人知らず(拾遺集292)
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける──従二位家隆(百人一首98)
一首目は、実際に『拾遺集』を生徒たちに見せて、その歌が載っていることを確認しました。拾遺集の歌数が1300余。「こういう歌集が10も20もあって、かけ算したら実際には何万という和歌が日本にはあるんだ。そのうちの選りすぐりの100が『百人一首』なんだ」と、(興味を持ってもらうために厳密性は犠牲にしていますが)、そんなことを言う機会がありました。
二首目は、このクラスで以前覚えたおなじみの歌です。この歌の「みそぎ」が、一首目の「夏越祓」(六月祓)のことです。生徒たちは、やはりなじみのある二首目の方を、(特にSちゃんが)「覚えてる!」と、より得意そうに諳んじていました。
小学生のクラスを受け持っていると、今は「なじみ」をつけるという時期だと思います。「なじみ」というと、なんということはないかもしれませんが、いつどんな時に興味が爆発的に増えて変貌するか分からない下地だと私は思っています。大人になってから、今のなじみを思い出して、もっとその先を知りたくなり、自分の手でそれを求めることを「楽しい」と思ってくれる、そんな時の準備練習に、今がなっていたら幸いです。
山下です。興味深いお話を読ませていただきました。勉強になります。子どもたちは吸い取り紙のように先生のお話を吸収しているように感じます。日本の古典をここ京都で学べるというのは地元にいると気づかないアドバンテージであり、とりわけ山の上で四季の変化を肌身に感じながら和歌や俳句に接することは貴重な経験になると思います。