浅野です。
現代の状況を宗教改革の時期になぞらえるということを考えています。
ドイツ語やフランス語などで書かれた持ち歩ける聖書はスマートフォンのようなもので、誰かに見てもらっているという感覚を与えることでその持ち主に安心感を与えるとなぞらえて考えることができます。その見てもらう主体が神なのかSNSの人たちなのかという違いはありますが、構図は同じです。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
現代の状況を宗教改革の時期になぞらえるということを考えています。
ドイツ語やフランス語などで書かれた持ち歩ける聖書はスマートフォンのようなもので、誰かに見てもらっているという感覚を与えることでその持ち主に安心感を与えるとなぞらえて考えることができます。その見てもらう主体が神なのかSNSの人たちなのかという違いはありますが、構図は同じです。