浅野です。
今回も用意をしていた形とは異なりました。
暗号文(地図のようなもの)をかくから、探しに来てくれとのことでした。しばらく待ち、それを受け取りましたが、よくわかりません。即興でやるには難しすぎたかもしれません。工夫次第では楽しめそうなので、今後の材料として考えておきます。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
今回も用意をしていた形とは異なりました。
暗号文(地図のようなもの)をかくから、探しに来てくれとのことでした。しばらく待ち、それを受け取りましたが、よくわかりません。即興でやるには難しすぎたかもしれません。工夫次第では楽しめそうなので、今後の材料として考えておきます。
あのクラスの子どもたちの発想は奇想天外ですね。
学校の授業中にも、きっと窓の外を眺めながら、いろいろ
ユニークなことを思いつく年頃なのだと思います。
その想像力を豊かに伸ばす(肯定的に見守る)ことを
先生はいつも真摯に取り組んでくださったと私は感謝しています。
(普通だったら、「それは駄目、あれも駄目」となりがち)。
いろいろ材料として仕入れられたことをもとに、また秋からは
先生の側から子どもたちをあっと驚かせるような展開も
楽しみです。
いずれにしても、3,4年のころは、先生の温かいまなざし
一つで、芽生えたものが伸びもし、枯れもしますね。
亮馬先生とも話していたのですが、小学校時代を振り返る
とき、一番感謝するのは、何を教えてもらったという知識
云々よりも、よくもあんなことをしてニコニコ見守ってくださった
なあということであり、その感謝の気持ちが、後々勉強に対し、
自分から率先して取り組めるようになるための心の栄養分
だと信じます。(すぐに成果を求める世の中なので、
このような表現はなかなか説得性に欠けるのですが)。