0107 調査研究入門

実は冬休みの間に発表会をしました。何人かの山の学校の先生方に参加していただき、非常に密度の高い発表会になりました。この場を借りてもう一度お礼を申し上げたいです。

 

その発表会で今後の展望の示唆を得ました。本質に立ち返って小説のおもしろさについて考えたいのだが、ライトノベルを読む楽しさはその場限りのもので、後に何か残ってためになるわけではないと言ったところ、むしろそこにおもしろさがあるのではないかと言っていただいたのです。

 

そこから出発してさらに考えを推し進めました。例えばゲームは選択肢がある(能動的に操作する)楽しみがあるが、ライトノベルを読む楽しみはそれとは異なります。同じ小説を読むにしても、感動したり、知識などを得たりするのはライトノベルの楽しみとは異なります。それではその楽しみが受動的なもの(例:テレビをぼーっと眺める)かというと、それにも違和感があります。そもそも能動と受動とを分ける(主体と客体とを分ける)といった前提を破棄するところに楽しみがあるとのことです。仏教で言うところの無の境地に近そうです。

 

前回の発表では虚構・理想・現実がキーワードでしたが、そもそも現実そのものを表現することはできません。文字にした時点で現実からは離れます。映像にしたところで、湾岸戦争や9.11の事件がテレビゲームやハリウッド映画のようだと評されたように、現実そのものではありません。それでは何が現実なのかというと、ここでは感覚に信を置くことにしました。デカルト的です。

 

そうなると小説を読む読者の感覚を問わなければなりません。実際、前回の発表でも読者について考察しようとしていました。

 

かなりややこしい話になってきましたが、どうにか参照点を見つけたいです。