この日のアイデアをメモした板書の写真をお見せします。
板書の内容を解説します。
これまで確固たる現実が存在すると前提した上で、「現実」や「虚構」をキーワードにして論じてきました。しかし言葉(小説)が現実を作るという作用を考えることもできます。明治期に学校教育などを通じて国民を形成したなどとよく論じますし、身近なところでも「体罰」や「セクハラ」という言葉が発明されることによって人々の現実認識が大きく変わるということがあります。
そして狭義の小説とライトノベルとが大きく異なるのだとしたら、ライトノベルが作り上げる現実というのもまた異なるのではないかということになります。ライトノベルが好きな人の特徴として、怠惰、ゆとり(非競争)、自己中心的、多様性が挙げられました。それぞれまじめ、競争、規律、同一性がおよそ対になる概念です。
これはまさしくモダン(近代)に対するポストモダンの特徴ではないかと私には思えました。ピラミッドとリゾームといった対比が人文系の大学界隈ではよくなされます。その概念を紹介すると、実感にマッチするとのことでした。
この線で考えると、ライトノベルの楽しみはポストモダン的であると言えそうです。読み手のアイデンティティを構築するのではないという、前回の話にもつながります。
しかしそのポストモダン的な特徴を描写する言葉が軒並み否定的であることに注意しなければなりません。それはモダン的な言葉を使っているからであり、肯定的に描写するためには自分で新しい言葉を発明する必要があります。そのようなところにまで話が及びました。