高木です。
まずは、いま感想文に取り組んでいる詩の朗読から、
今日もスタートしました。
クラスの初めに賢治の「烏」を朗読するのも、
これで四週目になります。
今日は誰も、一度も、朗読時に引っかかりませんでした。
というより、もはや彼らの関心は、詩のもつ音やリズムを、
どれだけ豊かに表現できるかというところへシフトしているようです。
彼らは本当に、「打てば響く」生徒たちです。
朗読の後は、先週書いてもらった「烏」の感想文を、
各自で発表してもらい、また、そのとき聞き手側に、
その都度、発表について講評してもらいました。
詩の文中の「水いろの天の下」や「茶いろに黝んだ」において、
漢字の「色」ではなく「いろ」と表記されていることについて、
それは、きっちりと「何色」として固定してしまわない、
もっとやわらかく曖昧にぼかしたような色彩を表現するために、
「いろ」というひらがなが使われているのだ、
と面白いところに着眼して解釈してくれたA君の発表のときには、
H君もK君も「そこには気づかへんかった。すごい!」
と口を揃えていました。
また、かつて飛んだ「水いろの天」の烏による夢想が、
詩の文中の「水いろの夢」だというK君の説得力のある解釈の後に、
A君が「同じ『水いろ』でも、自分とは違うから面白い」
と言ってくれたのは、印象的でした。
違いを排除するのではなく、違いを尊重するほうが、
得るものが大きいです。
H君が詩の中の春夏秋冬について発表したときには、K君は、
「たんなる詩の解釈だけじゃなくて、
H君の季節にたいする気持ちもそこに入ってるのが良いと思う」
と言ってくれました。
H君の文章の良さを引き出す、良い講評だと思いました。
こうした互評に加わりながら感じることは、
基本的に彼らには、相手の良いところを発見し、
そこに学ぶという姿勢がそなわっているということです。
これからも、彼らのこの姿勢を、守り、育んでいきたいと思います。
今日は、発表と互評の後、少しだけ私の添削へと進みましたが、
時間が来てしまったので、次回へ持ち越すことにしました。
次回は、いつものように朗読と、それから添削と清書に取り組みます。