ことば4年B(Hちゃんの作品)

福西です。先週、Hちゃんも作品を完成させてくれましたので、ご紹介します。

 

Hちゃんの好きな「友達占いの本」があるそうで、書き出しはその形式をまねて書いてくれたそうです。(図表が入っているのでpdfにしています)。そのあと、本文が始まります。

 

最後は夢の中に「ココロショップ」というお店が登場し、目から鱗のラストが待っています。それはHちゃんにしか書けないような、心洗われる作品ですので、この記事がお目に留まった方は、ぜひご一読いただければ幸いです。

 

(冒頭箇所。「こちら」にpdfで収めています)

 

『世界いちの友』  作/I.H.

 

けっかはどうだった? かいてあったことをためしてみてネ。

 

かんなの友はありさ。あしたありさとわたしでショッピングに行くの。だからきょうのよるはぜんぜんねむれなそう。うれしすぎてたまらない。どうしよう。ありさはどうおもってるかな。

 

そして次の日のあさ十時にいろいろなところにおかいものをしにでていきました。まずはオシャレが大すきな二人はふくやさんにかけつけました。

「わーきになるふくがいっぱいあるね。まよっちゃうよ。ねー。」

「うんとてもまようね。」

そしてかんなとありさは色ちのふくとスカートをかいました。(色ちということは色ちがいのこと)

 

次に文ぼうぐやさんに行きました。

「ねーありさ。」

かんなはいいました。

「このペンかわいくなーい?」

かんなはいいました。

 

「このかばんかわいくなーい? このかばんおそろでかわなーい?」(おそろはおそろいのことです)

「わたしはこのペンがいいよ。」

「えーなんでー。わたしはこのかばんをおそろでかいたかったんだよー。もうやだよ。」

とありさがいいました。

 

そしてかんなとありさはけんかをしてしまいました。

 

そしてそのよるかんなはゆめを見ました。そのゆめは…。

 

(ゆめ)(えっここはどこ? このドアは、あけてみてもいいかな。)

あけてみるとまたドアがあってそこには、ココロショップとかいてありました。

 

かんなはあけてみて、はかせが

「いらっしゃいませ。」

といいました。

「ここはどこ。」

「あなたのココロをいれかえられるところです。」

とはかせはいいました。

「えっ。」

そこにはいろいろなかたちのビンがおいてありました。はかせは

「どれにしますか。」

とはなしかけました。

 

わたしはわたしのココロをとりかえます。

「けどさいしょのわたしのココロはもどってくるのですか。」

「はい。」

とはかせはいいました。かんなはやさしいというココロにとりかえました。そして学校の4-2のきょうしつに行って…。

「かんなー。けしごむかして。」

「いいよー。」

そして家にもどって、ココロショップに行きました。やさしいココロだとあれこれ、ぜんぶべんきょうのよういをかして先生におこられたのでやさしいココロはダメです。

 

「もうちょっといろいろまざったココロはありませんか?」

とかんなはききました。ココロはかせは

「ありませんねーー。」

と言いました。かんなはほかのココロを見て

「まざってるのがありませんか!」

といいました。はかせは

「それはあなたのココロですよ。」

といいました。かんなは

「えっほんと。」

といいました。

 

 

 

「はかせさん、わたしのココロはどんなココロなんですか。」

と言いました。はかせは

「やさしいココロもはいっていて、すなおなココロやつよいココロなどなんですよ、もう一度ココロをいれかえられたら、けんかはしませんよ」

とはかせはこたえました。

 

そしてかんなは自分のこころにいれかえてそのありさとはなかなおりができてやっぱり自分のココロがいいんだなーと思いました。

 

(二○一二年十月十二日)

[コメント]

「わたしはわたしのココロをとりかえます」

 

この文章は、何度読んでも味わうことのできる、素敵な詩だと感じました。ありのまま、心からすっと流れ出てきたのでしょう。

 

冒頭は、占いが好きなHちゃんにふさわしいものとなっています。原文では原稿用紙1枚にまとめてくれていますが、小さな字で綴ってくれた文章量は、その倍にはなるかと思います。

 

その占いの内容と、Hちゃんは、もう一つの自分の興味である「オシャレ」とをうまくつなげて、話を展開してくれています。そして「けんか」という波乱の要素を入れてお話を盛り上げてくれています。

 

「けんか」に対するHちゃんの筆致は、とてもフレッシュです。その時にしか書けない等身大な物の感覚、「肌触り」や「体温」が感じられます。意見の食い違いによる仲たがい、「明日どうしよう」と思うその心配が、小学生の頃は一、二を占める関心事だったことを、私も、Hちゃんの文章のおかげで思い出すことができました。

 

物語の中では「色ち」や「おそろ」といった、普段着の言葉を使いつつ、地の文ではそれを「色違いのこと」「おそろいのことです」と読者に向かって注釈を入れているあたりにも、想像力の膨らみを感じます。会話文と地の文との合いの手によって、より物語らしくなっています。

 

主人公のかんなが、ありさとけんかをした後、その夢の中にココロショップが登場する展開もまた、Hちゃんの想像力の発露です。心を入れ替えられると聞いて、だれもが夢のような話だと喜ぶところですが、それにはちゃんと落ちがついています。やさしいココロ「だけ」だと、友達の頼みごとを何でも聞いてあげねばならず、結局「先生に怒られて」しまうからです。そして、「おこられたのでやさしいココロはダメです」と、かんなの得心を借りつつ、読者に向かっても諭しているあたりに、Hちゃんのストーリーテラーとしての冴えが見られます。

 

このお話の素晴らしいところは、主人公のかんなが、ココロを取り替えて、「やっぱり前の方が良かった」、というような「後悔による選択」で自分の心を得たのではなかったという点です。

 

あくまで求めているものが自分の心とは知らずに、「もうちょっといろいろまざったココロはありませんか?」とたずね、「ありませんねえ」という、はかせの気のない返事に対し、再度「まざってるのがありませんか!」と切望しています。そして、それが「自分のココロ」に他ならなかったという発見の仕方をしています。そこに、このお話の「どんでん返し」があります。

 

「はかせさん、わたしのココロはどんなココロなんですか。」という質問に対する、はかせの台詞は、それを読んだ読者に大きなカタルシスを与えるでしょう。

 

そしてはかせの「もう一度ココロをいれかえられたら、けんかはしませんよ」という最後の一言には、「なぞなぞ」のように、深い意味が隠されていると思います。かんなは、最後に「自分のココロ」にいれています。ということは、かんなが夢の中で体験したのは、「自分のココロを、もう一度自分のココロにいれかえた」ということになります。その一連の行為には、はたしてどういう意味が込められているのでしょうか…?

 

もちろん、それは、ココロショップに置いてある「純粋なココロにしようという」ことではないと思います。

 

そのようなメッセージは、大人であれ、子供であれ、どんな読者にも共通する気付き、素晴らしい教訓だと思われます。

 

素敵な作品を書いてくれたHちゃんに、改めて感服いたします。