0901 山の学校ゼミ(倫理)

浅野です。

 

スケジュールの都合で半年ほどお休みしていた倫理クラスを再開しました。

 

このクラスがなかった間も大学等での学びは継続していて知識が有機的につながってきているところです。

 

半年前には福沢諭吉に入っていたので、その流れで今回は中江兆民を取り上げました。社会契約論などこれまでに見てきた西洋の理論が明治期の日本でどのように取り入れられたかを見ることになります。

 

福沢諭吉にしても中江兆民にしても西洋の理論を丸飲みするのではなく、自分なりに咀嚼して取り入れる点が特徴的です。以下のくだりはそれが表れているとともにおもしろいのでそのまま引用します。

 

 さらに言えば、世に民権といわれるものにも、二種類あるのです。イギリス、フランスの民権は、回復した民権といえるもので、下から進んで獲得したものです。もうひとつは、賜った民権というべきもので、上から恵まれたものです。回復した民権は下から獲得したので、その分量の多少は、こちらの意のままに決めることができるわけです。賜った民権は、上から恵まれたために、その分量の多少は、こちらで決めることができません。もし賜った民権を得て、これをただちに回復した民権にかえようとするのは、ものごとの踏むべき順番をたがえることにならないでしようか」(欄外にいわく。この一節は、いささか得意の文章です)

中江兆民著、鶴ヶ谷真一訳『三酔人経綸問答』(光文社、2014)pp.120-121