浅野です。
6章に入りました。
これまでの章と比べると読みやすく感じます。
経験の中で疑念が生じたときに思考が発生するのだけれども、原始的な共同体では疑念が生じないように固定されたアイデアが優勢であって、そうしたアイデアが一定程度蓄積されるとその整合性を保つために思索が必要とされるようになったというような話です。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
6章に入りました。
これまでの章と比べると読みやすく感じます。
経験の中で疑念が生じたときに思考が発生するのだけれども、原始的な共同体では疑念が生じないように固定されたアイデアが優勢であって、そうしたアイデアが一定程度蓄積されるとその整合性を保つために思索が必要とされるようになったというような話です。