11/25 ことば高学年(作文)

高木です。

 野尻抱影の「赤い手鏡」について、今日は本文の内容を確認していきました。
 といっても、K君はすでに文章をよく読んで理解してきてくれていました。また、自宅で書いてきてもらうために出した小問にも、K君の作文を確認すると、非常に的確に答えてくれていました。
 なので、本文の内容について私が説明してしまうよりも、K君に、よく分からなかった点や興味深かった点などを挙げてもらうことにしました。(「赤い手鏡」のあらすじについては、先週11/18 の記事をご参照ください。)

 ひとつ目は、窓の外の星影を赤い手鏡に映している寝たきりの村上さんの姿勢について、挙げてくれました。
 村上さんの身体がどの程度自由で、「寝たきり」でもそれが具体的にどのような姿勢だったのかは、たしかに本文には書かれていません。それで、K君がイメージしていた姿勢と私がイメージしていた姿勢を「こんな感じかなぁ」と確認しあいました。実際に、手足をおもうように動かせない村上さんになったつもりで、その姿勢をとってみると、自分の手先にある手鏡が、思っていたよりもずっと遠く小さく感じました。本当に小さな窓だったのだな、と実感しました。

 もう一つK君が挙げてくれたのは「サナトリウムとはどのような場所か」ということでした。
 ただしサナトリウムという場所の意味は、時代によって変わります。村上さんがいつ頃に入院していたかも、書かれていないので、はっきりと断定はできません。が、抱影がこの文章を、昔のことを思い出しながら書いていることを考えあわせると、また抱影の文章の調子を見ると、やはり結核が不治の病とされていた頃か、あるいはそれに近い頃だと考えるのが自然だという話になりました。そして、そうだとすると、サナトリウムは、否応なく人生の最期を迎える場所になります。

 そのサナトリウムで、訪ねてきてくれる身寄りもなく、ひとり病に耐えながら、それでも「信仰とお星さまだけあれば、ちっとも淋しくありません」と言う村上さんに、いったいどれほどの人が勇気づけられたでしょうか。村上さんのことを伝える抱影の文章をより深く理解するためにK君と対話するなかで、何か大切なことを教えられたような気がしました。もちろんこれは私の憶測に過ぎませんが、K君の真剣なまなざしと話し方を見るかぎり、そのことを彼も共有してくれていたように思います。

 クラスの残りの時間では、そのことに関する作文の小問をお出しし、考えはじめてもらいました。 来週は、書いてきてくれた作文を確認することから始めます。