ことば3~4年(2016/11/22)

福西です。

この日は、推理クイズを2問しました。

質問で出たことを黒板に書いていき、みんなで問題の状況を確認しながらゴールにたどり着きました。1問目は割と簡単で、2問目はやや難しく、時間いっぱいかけて考えました。

この日はとりわけRhei君が質問では冴えていました。ほとんど正解のところをたびたび突いてきました。ただ自分ではそれを意識していなくて、その手がかりをMi君とMaちゃんとが分析するという流れでした。そのチームプレイがうまくいっていました。

「ありえないだろうな」と頭の中では思われることでも、言葉にして確認するという癖は、いいことだと思います。自信を持ってくれることを期待しています。

 

「まとめる」(要約)は、以下の文章を読みました。

中谷宇吉郎『線香の火』より抜粋

(注:小学生向けに補足・仮名遣いを改めたところがあります)

昔、寺田(寅彦)先生が、よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。

大学を新しく卒業して、地方の中学校すなわち今の高等学校などへ(新米の先生として)赴任する学生が、(寺田)先生のところへ暇乞いに行くと、先生はどういうところへ行っても、研究だけは続けなさいと諭された。

「地方の学校へ行くと、研究の施設などは、もちろん少ないだろう。研究費だってほとんどないだろうが、その気さえあれば、研究はできるものですよ。設備や金がなくてもできる研究というものも、ありますよ。一番いけないのは、研究を中絶することなんだ。なんでもいいからとにかく手を着けて、研究を続けることが大切です。一度線香の火を消したら駄目ですよ」

特別に優れた人たちのことは別として、ふつうの意味での秀才でかつ真面目な学生だった人が、いつのまにか、学問の世界から離れて行ってしまう場合がよくある。ところが大学時代は平凡な学生で、卒業後も十年くらいはほとんどうわさにのぼらなかった人が、案外にいい研究者として、しだいに学界の表面に出てくるような場合もある。

そういう場合に、その原因とか、理由とかいうものを考えても、結論は出るはずがない。一々の場合について、条件はみなちがうからである。運ももちろんあろうし、本人の本当の能力が、時とともにあらわれてくる場合もあろう。

しかし千差万別の条件の差を超越して、普遍的に言えることが少なくとも一つはあるように思われる。それは、研究者として成熟した人は、線香の火を消さなかった人である。

(昭和三十年十月二十二日)

(『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫、樋口敬二編)所収、『線香の火』より)

 

先生は線香の火を消さないようにという言葉を使った。どこへ行っても研究はやめてはいけないと言った。研究者として成熟した人は線香の火を消さなかった人である。

 

昔、寺田先生が、よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。新米の先生としてふにんする学生が、寺田先生はどういうところへ行っても、けん究だけは続けなさいとさとされた。「線香の火を消さないように」をかんたんに言うと、「せつびやお金がなくてもできる研究というものも、ありますよ。一番いけないのは研究を中ぜつすることだ」。寺田先生は線香の火を消さなかった人である。

 

寺田先生がよく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。寺田先生は言った。「地方の学校へ行くと、研究の施設などは、もちろん少ないだろう。しかし、研究はできるもの。一番いけないのは、研究を中絶すること。一度線香の火を消したら駄目ですよ。千差万別の条件の差を超越して、普遍的に言えることが少なくとも一つはあるように思われる。研究者として、成長した人は、線香の火を消さなかった人。

 

「不十分な環境でも対象を広く取れば研究はできる。一番いけないのは研究自体から気持ちが離れてしまうことである」という意味で、寺田寅彦が「線香の火を消さないように」とよく言っていたことを、筆者(中谷宇吉郎)は耳にしていた。研究者としての成功には複雑な要因がからみ合っており、確かなことは言えない。しかし「成熟した研究者は、線香の火を消さなかった人である」ということは確かに言える。

今日は二人お休みでした。なお最後のは私になります。

 

引用部分が長くなって要約という点から遠ざかったり(私もあまり人の事は言えませんが^^;)、結論の意味合いが変化しているなど、以前に比べると揺れ戻しが見られます。慣れるまでもう少し時間がかかると思います。ぼちぼち行きましょう。

なお今回は、要約の例を見るか見ないかを選択してもらい、ほとんどの生徒が見ないことで挑戦してくれました。

 

来週11/29(火)に補講が1回あります。それが最終となります。

百人一首をやりたいという声が前々から出ていたので、「かるた会」をして締めくくりたいと思います。