ことば4年生B(11/2)

福西です。この日は、金子みすずの詩を朗読しました。

 

以前の時と同じく、全集の中から自分の気に入った(できればその日の気分を表した)詩を選んでもらいました。それをコピーしてから、みんなにお互いに配り合って輪読します。そうすることで、「私から一方的にみんなに配る」のと、意識的に何が変わるかというと、「これは私が選んだのよ」と、自分のチョイスをみんなに「どう?」と周知してもらう楽しみができるのだと思います。またそのようにすると、聞く側も、「へえ、~ちゃんの選んだ詩なのか」という興味が湧き、集中してもらいやすいようです。

 

(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)

 

今回読んだのは、以下の8編です。

 

『花のたましい』 Ryoma

『ふうせん』 Hちゃん

『襖の絵』 Iちゃん

『生きたかんざし』 Mちゃん

『いい眼』 Ryoma

『あらしの夜』 Hちゃん

『金魚』 Iちゃん

『こだまでしょうか』 Mちゃん

 

1周目に、字面を追いかけるのにたどたどしかった箇所も、2週目は耳に入ってきた音の記憶を便りに、よりはっきりと読めるようになっていました。やはり詩は繰り返し読むと、いいことがありますね。

 

一つ例に挙げると、Iちゃんの選んでくれた『金魚』は、たぶん一回読んだだけでは意味の飛び込んでこない詩の一つだろうと思います。

 

『金魚』

 

月はいきするたびごとに

あのやわらかな、なつかしい

月の光を吐くのです。

 

花はいきするたびごとに

あのきよらかな、かぐわしい

花のにおいをはくのです。

 

金魚はいきするたびごとに

あのお噺の継子のように

きれいな宝玉をはくのです。

(金子みすず『土のばあや』所収)

 

「月は月の光」を、「花は花のにおい」を、と、ここまでは普通に意味が取れると思いますが、最後の金魚がはく宝玉というのは、いったい何のことなのでしょうか。また「あのお噺」とは、何を指しているのでしょうか。私個人は、泡になった『人魚姫』の最後の様子が思い浮かびましたが(継子とあるので違うと思いますが^^;)、そればかりは、作者になりきった読者の想像に任せるところです。

 

後半は、またお話作りをしました。