高木です。
今日は北原白秋の「月へゆく道」を読みました。
月へゆく道、 空の道。
ユウカリの木の こずえから、
しろいお船の マストから、
アンテナのさき、 夜露から、
月へゆく道、 光る道。
まっすぐ、まっすぐ、青い道。
それぞれの一度ずつの朗読のあと、M君とT君は「詩の意味がわかれへん」と言ってくれました。それで、あとで意味を確認することを約束して、まずは朗読の続きの二周目以降にはいりました。
朗読を終えた後、「こずえ」や「夜露」といった言葉の意味を辞書でひいてもらい、それから詩の意味を考えていこうとすると、すぐにM君が「わかった! こういうことやろ」と言ってサッと詩のプリントの余白にスケッチしてくれました。それは、水平線に半分沈んだ月が、夕陽のように海面に光を伸ばし、まさに「光る道」となっているその上に、「しろいお船」が浮かんでいるという情景でした。私は、「木のこずえ」、「マスト」、「アンテナ」とあることから、何か高く伸びたもののその先から道がつながっているようなイメージを持っていたので、そういう見方もあったのか、と彼の言葉のセンスに驚かされました。
漢字の成り立ちは、先週の「『子』の部」に引き続き、その②です。
「季」、「好」、「孫」、「遊」と、それに「季」に関連して「秋」をとりあげました。
「秋」はなぜ「禾」に「火」と書くのでしょうか。かつて「秋」は、「龝」の下に「灬」を加えた、複雑な漢字でした。「禾」 は稲穂、「龜」(亀) は虫(イナゴ)、「灬」は火の形です。稲の収穫の時期になると、大量発生したイナゴによって被害にあうので、火でイナゴを追いはらって、豊作を祈りました。だからその時期のことを、「龝」の下に「灬」を加えた形であらわすようになりました。現在の「秋」は、「龜」が省略され、「灬」が「火」となった形です。
T君は「秋」のなかに虫(龜)がいたことに、意外そうでした。M君は「亀」という漢字がなぜか好きらしく、「『亀』の方を残しとけば良かったのに」とユニークなことを言ってくれました。
また彼らは、先週と同様、現在使われている漢字の形をさらに洗練したものを編み出してくれました。実際、中国語の簡体字では、日本でも現在使われている「訁」(ごんべん) を、「讠」と書いたりしています。字形の省略は、漢字の大きな流れのひとつであり、こうして取り組んでいることも、あながち奇矯なことではないのかもしれません。
秀逸だったのは、二人ともが一致して、「遊」の「方」の「亠」の横棒をそのまま伸ばして、隣りの「
山下です。
>夜がしずかに沁みるような詩
いつもすばらしい作品をご紹介いただき、ありがとうございます。
生徒の解釈を「なるほど、そういう見方もあるのか」と感心して
とりあげておられる点が、なにより生徒にとってありがたい
経験になっていると思います。
作者がその場に同席していても、きっと子どもたちの意見に
目を細めてくれたことでしょう。