学校生活が充実しているためにあまり本を読む時間がないというのは贅沢な悩みでしょうか。
引き続き論点整理をしました。
これまで考えてきた図式が東浩紀さんの主張と驚くほど似ていました。ただ、大きな物語の衰退という彼の議論には実感が湧かないそうです。共通の現実認識のようなものがあり、趣味などによってグループ化されているとはそれほど感じないとのことです。
もしかしたらその差は東京と関西地方との差かもしれないという話になりました。東京の街はその特徴によってかなり住み分けがなされているのに対し、関西の街はあまりそうではないことからそのように考えました。
小説にせよ評論にせよ、もしかするとほとんどが東京の基準で作られているのではないかという話題にも及びました。出版社が東京に集中しているからです。ウェブ小説では方言で書かれたものも目に付くとのことです。これはおもしろい視点かもしれません。ライトノベルでは会話の部分が多いので、方言か否かという点はよりいっそう重要になります。
印象に残っていることをもう一つだけ紹介します。ライトノベルの読み方、あるいは読み手という観点です。ライトノベルをあまりにベタに読むと現実逃避になってしまって危険だとの主張です。そう主張する背後には確固たる現実があるわけで、大きな物語が衰退しているわけではないという感触とも整合性があります。その危険性はネットゲームやSNSにはまったりするのと近いそうです。
話題が多岐に渡るので、既存の議論を参照して整理したいところです。