山下です。
あまりにも月並みなタイトルですが・・・(笑)。
基本的にはテキストを読むのが一番だと思っています。その際、気をつけることは・・・
ところで,単語とのつきあいは,人づきあいと同じである.つきあいが先にあって,しかる後に,その人の名前や性格などをもっと詳しく知りたくなっていく.そして自然とクラスメイトの顔や名前などは覚えていく.こうした経験をへて,やがて卒業をしてからアルバムの写真を見ると,そこにはよく知った顔もあれば,あまり見たことのない者も,あるいは口を聞いたことのない者もいるだろう.当然つきあいの深さに比例して,その顔と名前が脳裏に焼き付いているはずである.大事なのは日頃のつきあいである.その証拠に一生つきあう自分の名前を忘れることは考えられないのである.
市販されている単語集とは,まさにこの卒業アルバムと同じと考えてよい.単語とのつきあいとは実際に英語を読み続けることであり,その過程において諸君の感じる喜怒哀楽の情は,まさしく学校生活を送る上で感じるそれと同様である.諸君は休まず英語を読み続けなければならない.筆者の意見に胸を熱くしたり,難解で投げ出したくなったり(学校に行きたくなくなることに似ている!),様々に感じることを通して,次第にひとつひとつの単語と親しくなっていく.
この意味で,日頃英語の文章と親しくしていない者は,登校拒否の生徒(友達との接触はない)と同じ立場であると言える.彼が卒業アルバムをもらっても恐らく何の感慨もわかないのと同様に,日頃英文を読むことを忘れてしまった者が単語集を手にしても,単なる「未知の」単語の羅列が目に映るだけであろう.
結論から言えば,親友の名前は付き合いの中で「自然に」覚えられるように,英語の単語も,文章を理解する作業の中で「自然に」覚えていけるはずである.ただし辞書を引かなければ,決して自分から名乗らないのが単語の特徴であるが.ちょうど親しい間においても,こいつにはこんな一面があったのか,と驚かされることがよくあるように,英語の単語も,同じ綴りでいくつもの大事な意味を持つものもある.
あるいは派生語とはいわば親と子,兄と弟の関係に等しいのである.確かに,あの兄弟はお互いよく似ているなあというインパクトは,二人の姿をより強く脳裏に焼き付けよう.同義語とは仲の良い二人みたいなもので,片方の姿を見たらもう片方のことを思い出すのが常である.一方反意語とはいつも喧嘩ばかりしていた二人と思っていいわけだ.
補足すると、語源に注意できるようになると完璧です。コツはまたあらためて・・・。