浅野です。
今回で長く続いた工作も最後でした。これをきっかけに「ことば」への思いを新たにしてくれればと願います。
残り時間は、「ず」と「づ」の違いや敬語などについて、なぞなぞのような形のプリントをしました。さすがは五年生で、すごい勢いで答えを書きます。もしかしたらこの授業では久しぶりに紙と鉛筆を使ったためかもしれません。
もしそうだったとしたら、これからもそうした新鮮な気持ちを忘れないでいてほしいものです。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
今回で長く続いた工作も最後でした。これをきっかけに「ことば」への思いを新たにしてくれればと願います。
残り時間は、「ず」と「づ」の違いや敬語などについて、なぞなぞのような形のプリントをしました。さすがは五年生で、すごい勢いで答えを書きます。もしかしたらこの授業では久しぶりに紙と鉛筆を使ったためかもしれません。
もしそうだったとしたら、これからもそうした新鮮な気持ちを忘れないでいてほしいものです。
>これからもそうした新鮮な気持ち
同感です。問題演習に慣れて目先の点数は取れても「新鮮な気持ち」を忘れることはありがちです。浅野先生がされているように、真の意味で「遊び」の要素を取り入れることによって、私はいずれ生徒たちが「一人で学ぶ」ときが訪れても、きっと彼らなら勉強の仕方を「自分で工夫できる」・・・そう信じます。遊びを追求していくと、どこまでも工夫を凝らしていかなければなりませんね。そしてその工夫が苦労ではなく、喜びに変わることを学ぶことになります。電気仕掛けの受け身の遊びでは身につかない(私の偏見?)ですが、能動的な遊びはすべてクリエイティブな行為の母体となります。