浅野直樹です。
非現実(不可能性)の時代という枠組みの射程は広いと感じました。
ここでの現実とは人々の間の共通認識です。非現実の時代にはそれが失われたということです。共通認識がない状態でのコミュニケーションは共通認識がある状態でのコミュニケーションと質的に異なります。契約事項を明記する商人的なコミュニケーションは共通認識がない状態でのコミュニケーションとして有効だと言えそうです。現代ではそうした商人的なコミュニケーションが増えているように感じるのもうなづけます。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野直樹です。
非現実(不可能性)の時代という枠組みの射程は広いと感じました。
ここでの現実とは人々の間の共通認識です。非現実の時代にはそれが失われたということです。共通認識がない状態でのコミュニケーションは共通認識がある状態でのコミュニケーションと質的に異なります。契約事項を明記する商人的なコミュニケーションは共通認識がない状態でのコミュニケーションとして有効だと言えそうです。現代ではそうした商人的なコミュニケーションが増えているように感じるのもうなづけます。