浅野です。
次回発表に向けて原稿を作っています。
北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』で提起されている、反省→(抵抗としての)無反省→(単なる)無反省という図式を借りながら記述していきました。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
次回発表に向けて原稿を作っています。
北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』で提起されている、反省→(抵抗としての)無反省→(単なる)無反省という図式を借りながら記述していきました。