第四回目
お二人お休みされて、KMさんお一人だったので、いつものテキストは進めず、KMさんがお持ちになった大学入試の漢文長文読解問題を一緒に読みました。出題されていたのは北宋の司馬光が書いた『涑水記聞』の一節でした。
『涑水記聞』巻一「昭憲太后聰明有智度、嘗與太祖參決大政。及疾篤、太祖侍藥餌不離左右。太后曰、汝自知所以得天下乎。太祖曰、此皆祖考與太后之餘慶也。太后笑曰、不然、正由柴氏使幼兒主天下耳。因戒敕太祖曰、汝萬歳後、當以次傳之二弟、則并汝之子亦獲安矣。太祖頓首泣曰、敢不如母教。太后因召趙普于榻前、約為誓書。普于紙尾自署名云、臣普書。蔵之金匱、命謹密宮人掌之。太宗即位、趙普為盧多遜所譖、出為河陽、日夕憂不測。上一旦發金匱得書、大悟、遂遣使急召之。普惶恐、為遺書與家人別而後行。既至、復為相。」
前半は、北宋の初代皇帝である太祖が、母から弟の太宗に帝位を伝えるよう遺言された、というエピソードです。後半では、遺言の際に誓約書を作成した趙普が、後に仲の悪かった盧多遜の非難のせいで左遷されるが、太宗が誓約書を見て彼の功績に気づき、都に呼び戻され、再び大臣になった、という話になります。
このエピソードは史実かどうか疑わしく、かつ『宋史』その他の文献に見られるヴァリエーションでは、話の経緯に違いがあります。
今回読んだ『涑水記聞』では、盧多遜に誹謗された趙普は、左遷先の河陽で何か悪いことが起きるのではと心配し、太宗からの使者が来た際にも悪い想像をして怯え、家族に遺書を残しています。
これが『宋史』巻二六四盧多遜伝だと、後半のエピソードは趙普がすでに河陽から都へ戻ってからのことで、また、太宗が金の箱を開けて誓約書を見たのは、趙普が太宗に対して自分で昔の功績を訴えたから、ということになっています。