山びこ通信 2009-02号に掲載した挨拶文を転載いたします。もうすぐ最新号が出来上がります。
和して同ぜず
山びこ通信の最新号をお届けします。講師による恒例の「クラスだより」に加え、会員による授業の感想も一部掲載しています。号を追うごとにページの合計枚数は増え続け、今回は全部で30ページを超えました。ご一読いただき少しでもピンとくるものをお感じいただけるなら、望外の喜びです。
私自身全体を通読する中で、『論語』の「和して同ぜず」という言葉が脳裏をよぎりました。言うまでもなく、すべての先生が参加者の「好奇心」を応援しようと一生懸命努力しています。この点に「山の学校」の「和する」姿勢を見出す一方、それぞれの先生が自分なりの強いポリシーをもってクラスに臨む点に「同ぜず」の意気込みを感じます。
今、先生のポリシーと書きましたが、実際にはクラスのポリシーと言い換えた方が実情に近いと思います。たとえば、同じ先生が同じ学年の異なるクラスを担当した場合、しばしばクラスの取り組み内容がまるで異なるものに見えてきます。これは、先生が参加者一人一人の個性を見つめ、それを最大限に引き出すもっとも相応しやり方を考えた結果、そのような違いが生まれるのだと解釈できます。言い換えれば、参加者一人一人の個性がクラスの内容を創る主役になっている、といえます。
私は「山の学校」の先生と授業内容のことで対話するとき、しばしば「生徒さんの意気込みにこちらがいっぱい勉強させられます」という言葉を聞かされますが、この言葉が「山の学校」の取り組みのすべてを象徴していると思います。山びこ通信の原稿に目を通すと、そのような先生一人一人のクラスへの真摯な姿勢と熱い思いが感じられ、何よりありがたく思われます。
さて、新年度からいよいよ小学生対象の「かいが」がスタートいたします(詳細は2ページ参照)。また一般対象では、ギリシア語に「講読クラス」が新たに加わります(ホメーロスの『イーリアス』を読む予定とうかがっています)。この二つのクラスは、年齢の対象こそ違いますが、どちらも人間の生きる喜びに深い部分で関わるクラスとして、かねてより開設できる日を待ち望んでおりました。こうして皆様にご紹介できることを心より嬉しく思います。
子どもたちを取り巻くこれからの10年、20年後の社会を想像しますと、ますます「和して同ぜず」、すなわち、他者と協調しながらも「自分」を見失わない生き方が強く問われるように思います。そのための基礎教育を行う場として、「山の学校」は今後ともできることを一つ一つ実践して参りたいと思いますので、どうかこれからも宜しくご支援のほどお願い申し上げます。
山の学校代表 山下太郎