浅野です。
この春学期は英検に向けた取り組みをしてきました。その試験がこの前の日曜日にあったのですが、本人によると手応えは厳しいとのことでした。全部で25問(全体の4分の1)ある語彙問題が難しかったとの感想です。この山の学校での時間は語彙力に焦点を当ててきましたが、少し及ばなかったようです。次回に向けて、日頃から語彙への意識を保ってもらえたらと思います。
さて、今回から春学期の残り3回は、英検などの試験でもよく聞かれるということもあり、日本の文化や社会について英語で説明できるようになろうというテーマを設定しました。「美学」、「季節」、「根回し」といった項目を紹介する”The Japanese Mind”(edited by Roger J. Davies and Osamu Ikeno)を事前に読んできてもらい、それについて質疑応答をしました。この本自体にも項目の最後に質問が付いているので、それぞれについて、日本に馴染みのない人に説明するつもりでそれに答えました。
その質問の中には、「芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」という俳句は”A frog jumped into an old pond — a sound of water.”と普通英語に訳されるが、それはもともとの美的感覚を保持しているか?」というものがありました。日本語と英語とで受ける印象があまりにも違い、笑ってしまうほどです。もともとの美的感覚を保持していないという結論で一致しました。英語が原典の作品を読むときには逆のことが起こっているのではないかと指摘してくれ、英文学に取り組む気持ちを新たにするきっかけともなったようです。
>もともとの美的感覚を保持していない
興味深いテーマです。俳句は独特の世界があります。私はへそ曲がりなので、上の評価が正しいと仮定すると、その逆も成り立つのだろうか?と考えます。つまり、英語の詩を日本語に訳した場合、その日本語は「もともとの美的感覚を保持していない」ということになるのか、どうか。いかに正確な翻訳を心がけても、その限界がある、ということは一方で認識しておく必要があるのでしょう(英語に限らず、ラテン語やギリシア語について)。