3回目の授業です。連休を挟んだので2週間ぶりでしたが、生徒さんも相変わらず元気だったので何よりです。
前回からも申し上げている通り、本授業では、受験勉強の「世界史」という枠にとらわれない歴史を学び、具体的には生徒さんと歴史に関する様々な本を読みながら広範かつ深い見識を深めていきます。ですが、本を読んでいく前に、歴史を見る上での価値観、すなわち「史観」(歴史の色眼鏡と私は呼んでいます)について簡単に説明するためにイントロダクションの回を設けましたが、生徒さんが興味を持ってくれたので、今回までそれをやることにしました。
今回お話したのは、前回からの唯物史観(補足)と世界システム論についてです。
まず、唯物史観についてですが、前回では概念的な話しか出来なかったので、それが実際の歴史学においてどのように展開されたのかを話しました。まず、上部構造と下部構造の復習から。マルクスは決して上部構造を軽視したわけではありませんでしたが、「下部が上部を規定する」という言葉が独り歩きして、下部構造に注目が集中、具体的には王や貴族といった個人が動かす歴史ではなく、農業や工業といった経済の歴史に関心が集中したということをまず確認しました。
次に日本ではどのように受容されていったかの話。まずは1920~30年代に流行した日本資本主義論争です。簡単に言えば、唯物史観において中世と近代の間には、ブルジョワによる市民革命が起こる(ことになっている)のですが、明治維新がそれにあたるのか否かを巡って二つの勢力がしのぎを削ったという話です。今からすれば実に滑稽な争いですが、唯物史観が当時の知識人の間でこんなにも信じられていたということを示しています。この論争は政府による共産主義弾圧により消滅しましたが、戦後も唯物史観は大きな影響を持ち続けることになります。(大塚久雄をはじめとしてそれをたたき台にして独自の理論を作り上げる人も出てきました。)
さて、次は世界システム論についてですが。生徒さんに身近に感じてもらうために、まずは産業革命以後のイギリスの朝食English Breakfast の話からはじめました。当時の労働者の朝食はパンや卵、ベーコン、砂糖入紅茶などです。しかしよくよく考えてみると、庶民が毎日のように砂糖や紅茶を楽しめるなどというのは中世や近世には考えられなかったことです。さてなぜこのように物質的豊かさが庶民にまで許されるようになったのか?この問題を解く鍵が世界システム論です。
アメリカの学者ウォーラーステインは、ヘーゲルやマルクスのように歴史が一国内で完結し、どの国も一定の過程を経れば理想的状態へといたる直線的発展史観を批判し、逆に歴史は各国間の関係性の中で動き、発展・未発展の区分も相対的なものであると主張しました。彼は世界を、中心・半周辺・周辺にわけ、金融や物流を独占する中心が、資源や食糧を生産する周辺と交流するというモデルを組み立て、発展途上国がいつまでも貧困から抜け出せないのは中心と周辺の関係がなかば、(経済的な)支配・被支配の関係になっているからだと主張しました。このような一連の関係性をもつ、政治的には分裂しているが経済的分業体制が充実している体系を世界システムといいます。この世界システムは16世紀ごろヨーロッパで生まれ、それが中国やインドにあった世界帝国(政治的には統一されているが経済的分業体制は未発展)を傘下に入れていく過程をウォーラーステインは近代と呼んだわけです。
こうした考えは歴史の色眼鏡にも大きな影響を与え、それまでの歴史学のやり方を大きく変えていく役割を果たしました。
実は、世界システム論について簡単に話したのは、次回から読んでいくイギリス近代史の本(川北稔『イギリス近代史講義』講談社新書)の予習であるともいえます。川北氏は日本でのウォーラーステイン紹介を行った歴史家であり、世界システム論を基盤にした独自の社会史を展開しています。今回までは講師が話す割合が多かったのですが、次回からはゼミ形式ということで、生徒さん独自の考察も交えながら「ともに学ぶ」ことを実践していきたいと考えております。