福西です。「その1」の続きです。
さて、ここで新たに疑問が湧いてきます。小数>分数なんだったら、いっそのこと、小数だけにしてしまえばいいのでは? 分数なんて、全部小数で表せるんだったら、考える必要なんてないのでは? と。
確かに、小数は、計算が便利(電卓で叩けばすぐ)であり、数の比較が容易であるというメリットがあります。
一方、分数はというと、「3/7+5/17」という計算を一つ頭に浮かべてみただけでも、通分がかなり大変であることがわかります。実際に比較してみると、こうなります。
<小数で考えた場合>
3÷7≒0.42
5/17≒0.29
よって、
3÷7+5÷17≒0.71
(小数で考えることから、「概数」「近似」という大事な考えが登場します)
また、電卓を叩けば、即座に、0.7226890 4705882352941176 470588235・・・、(470のところでまた循環しています)
と求まります。
<分数で考えた場合>
7×17=119
3×17=51
5×7=35
51+15=66
よって、
3/7+5/17
=51/119+15/119
=66/119
つまり、分数は、手間が多くて、特に「だいたい」でいいから答を知りたい、という時の計算には「向いていない」ということがわかります。ちなみに昔のローマでは、ローマ数字と分数が使われていたのですが(小数はアラビア数字でないと書けない)、その「分数」が苦手なことから、算数が苦手になる人が多かったようです。(逆に分数が得意な人が、商売をしたそうです)。
でも、分数だって電卓を叩けばいいじゃないか、そうしないのはずるいじゃないか、という人がいるかもしれません。では実際に、電卓で分数を入力できるでしょうか?(実はそれができる電卓もあるのですが、普通のものでは無理です)。また、上の小数で求めた0.7226890 4705882352941176・・・を分数に戻すことは容易ではありません。つまり、「電卓が使えるのは、そもそも小数のメリットだった、ということになります。
となれば、やはり、小数に軍配が上がるのでしょうか? 分数なんて、いいところがないじゃないか、と。
いえいえ、それが、やはり分数にもいいところがあるのです。だから、今も分数は残っているのです。
それは、こういうことです。
分数という数は、量だけでなく、「意味」を表すことができる。
と。小数で表された計算結果には、量という以外には、「意味」をくみ取れないものです。
0.285714285714・・・がどういう意味か?と言われても、それは「ただ、そういう数である」としか言いようがありません。
しかし、2/7であれば、それは、「7つに分けたもののうちの2つ」という「意味」をくみ取ることができます。
一般に分数には、「分子÷分母」という意味を持ちます。それはどういうことかというと、たとえば、円周率のことを思い出してください。
前回、「率」というのは「倍率」のことで、「円周率」というのは、「直径の何倍が円周にあたるのか、それを表す倍率」ということを確認しました。そしてそれは小数で表せば3.141592・・・ですが、もともとは、「分数」であらわされたものだ、ということなのです。
円周率=円周/直径
このような「分数」が、「円周率」という「意味」、新たな言葉の「定義」を作り出していることに注意してください。
6年生で習う、ある意味一つの山である「速度」もまた、
速度:=距離/時間
と表されます。このように、「定義」したり、新しい「概念」を作るときに、分数はひそかに活躍しています。
このような考察の後、「ほんと、小数と分数って、どっちが広いんやろうなあ」と言ってくれたY君の一言が、その日のクラスをしめくくっていて、印象的でした。そのような「広い数の世界のとらえがたさ」を胸に、これからも一層学校の勉強に励んでくれると嬉しいと思います。
“かず6年(0424)(その2)” への1件のフィードバック