こんにちは、上尾です。
学校のほうではもう春休みが始まっているようですね。
このクラスも今週で最後となります。今回は3学期末の
試験の見直しを中心に授業を行いました。
曰く、いくつか喉もとまで出掛かったのにという問題や、
落ち着いて考えれば解けていたかもしれないというミスが
多かったとのこと。こうした傾向を、私は、彼が英語の世界に
きちんと足を踏み入れだした証拠だと、肯定的に解釈しました。
訳も分からぬ異国語に面食らっていた以前の状態に比べ、少しずつ、
英語が彼の一部になりつつあるという感触は、授業を行っていても
感じることができます。今回、試験の見直しとして、問題に出された
英文の意味を私が日本語で言い、彼に英語で表現してもらうということを
行いました。このようなやり取りの中で英語の文を作ってもらうときには、
彼は、ゆっくりと時にためらいながらではありますが、しっかりと正解に
向かって進んでいくことができます。こうした意味での地力は、着実に
ついてきていると感じます。一方で、試験というものには敢えて間違いを
誘おうとする性格があり、また時間制限という面でも、英語の理解力とは
別の思考回路が要請される面があります。試験対策の技術的な面では、
こういうことも考えておかなければならないのかもしれませんが、
今はまだ本質的なことに目を向け、その上で彼の確実な成長を
助けていきたいと思っています。
さて今年最後ということで、これまで書こうと思っていて書きそびれて
いたことに、もう数行割かせてもらいます。それは英語の発音のことです。
授業では、英語を声に出して読んでもらうという機会を積極的に設けて
いますが、その際、なるべく発音にも気をつけてもらおうとしています。
ただしここで大事なのはネィティブのように発音することではなく、
英語の理解とコミュニケーションのために必要な発音に気をつけるという
ことです。そもそも世界中で英語が喋られている現在、誰がネィティブ
スピーカーなのかということを考えること自体無駄かもしれず、だからこそ、
日本人ぽい発音というのがあっても問題はないと私は考えるのですが、
しかし一方で、単語をきちんと識別するのに必要な発音は、ちゃんと
押さえておかなくてはいけません。これは端的にアルファベットをきちんと
理解しているかどうかという初歩的な問題でもあるのですが、日本では
カタカナという便利な道具により、この問題が埋葬されてしまう傾向がある
かのように思います。改めて言うと、上手できれいな発音である必要は
ありませんが、きちんとした発音ということを心がけて英語を声に出して
読むということが、地に足のついた英語の学習には必要だろうと思います。
私も全然きれいな発音はできないのですが、日本人ぽくもきちんとした
発音を伝えることは心がけたいと思っています。
長くなりました。既に書いたように今年の正規授業は終わりですが、
来週には春期講習が予定されています。時制に関する復習を中心に
行う予定です。また試験対策のために休止していたA Wizard of Earthsea
にも戻るつもりです。余談ですが、英語でも日本語でも、声に出して
本を読むのは楽しいものです。小学生の子供達は実際、実に楽しそうに
声に出して本を読みます。高校生にとってもそうだろうし、大人の我々に
とってもそのはずです。そして楽しいからこそ身についていくものが
あるというのも、世代に関わらず共通のことだろうと思います。
お書き下さったことは、内容も文章量もともに読み応えがあり、山びこ通信の原稿クラスですね。英語の音読の件も、私も同様に考えています。音を使わない学習時間も重要ですが、音を使うと、英語の勉強が生き生きしてきます。音を使わないと、やがて心の声が「おなかがすいた」等さまざまなノイズを出します。集中するとはこのノイズとの戦いになります。一方、音を使うと、音がノイズを消します。スポーツと同様です。邪念はゼロにはなりませんが、キャッチボールをしていると、ぼーとしているとボールが顔面に当たるので、嫌でも集中します。駐中したければ、音読、音読、音読!英語に限りません。