山びこ通信(2013年度・冬学期号)に寄稿されたエッセイを転載いたします。
『山坂達者と山の学校』 山下大吾
私の故郷鹿児島に「山坂達者」という言葉がある。その意味は自ら明らかであろうが、「山道を歩いて健康になる」といったところであろうか。「山道を歩けば」、「歩いてこそ」が正しいかもしれない。
要は鹿児島に限らず、交通機関の発達していなかった一昔前の日本であれば、標語以前の当たり前の行為であり、結果であろう。しかしながら鹿児島ではさらに特別な意味が込められており、薩摩藩特有の「郷中教育」に端を発する言葉で、今日でも特に青少年の教育向上のスローガンとして用いられる場合が多いようである。
言葉を取り上げた当人が他人行儀な物言いになるのは何とも歯切れが悪いが、そもそも第二次ベビーブームに生を受けた者が郷中教育の恩恵を被ったなどと言えるはずがない。私自身としてはそのような大仰な意味合いではなく、単に冒頭に紹介したような意味が自然に好ましいものとして今まで意識されてきたに過ぎない。鹿児島といえば桜島だが、それでなくとも元々山がちで平地は少なく至る所痩せたシラス台地ばかり、それならばどこへ行くにも歩いて登るしかない、歩けば自然と体が鍛えられる。そのような風土をむしろ好条件と捉えた発想が素晴らしい。体だけではない、ギリシア人も学園の周囲を逍遥して哲学を行い、漱石も山路を登りながらあのように考えたではないか。
山の学校へと通じるお山の階段を登るたびに感じるのがこの山坂達者である。ここでは老いも若きも同じ道のりをそれぞれの仕方で登り降りしている。その途中、山の学校の関係者以外の方々からも、つまり初めてお会いする方も含めて一様に挨拶の言葉を頂戴する。お山では何気ない日常の光景なのかもしれないが、東京京都と街中での孤独な一人暮らしにいつの間にか馴染んでしまった身にとって、挨拶を交わすという当たり前の行為が貴重な経験に思えてくる。小学校の登下校時、片道2キロ弱の山道を通いながら同じような行為を毎日繰り返していたはずの自らの幼い姿が懐かしくも一つの鑑として思い起こされ、深く恥じ入らせてしまう。
山の上ではそれぞれの真摯な学びが日々展開されている。郷中教育をヒントに、小中学生を中心とした勉強会を定期的に開催するつもりだと山下先生から伺った際には、少しく驚きつつも心中快哉の声を挙げていた。ここでは石段を一歩一歩確かめながら登るように、基礎を確認した上で先に進む。立ち止まって考え、歩みが遅くなる経験を失敗あるいは損失と捉える必要は全くない。焦らずとも道は先に続いているのであり、むしろその道のりを異なった調子で歩むという楽しみが得られたことに満足すべきだろう。私自身、受講生の方々からこのような実りある教えを幾度も受け、大変有難く感謝している。
学びの山坂達者、それが山の学校であると考えている。
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