福西です。
この日は『青矢号』の13、14章を読みました。いよいよ物語も佳境です。
さて、フランチェスコの「かつて」の家から、青矢号は、ゆっくりと走り出します。しかしその先導を務めるのは、犬のぬいぐるみのコインではありませんでした。
というのも、コインは空家に「残る」ことにしたからです。
「みんな、元気でね!」
と、コインは弱々しい声であいさつしましたが、その声はだれにもとどきませんでした。コインはしっぽを丸めてしゃがみこみ、前足でなみだをぬぐっていました。
この時のコインの健気さと心細さが、朗読する生徒たちの心にどのような印象を残したのか、興味深く思います。
「フランチェスコなら、ほかにもたくさんいるよ」
と、青矢号の仲間たちは新しい出発を前に言うのですが、一途なコインは言うのでした。
「でもぼくは、ぼくの友だちのフランチェスコに会いたいんだ」
と。この限定が意味するところは、だれしも覚えのあることであり、共感されるところではないでしょうか。
さて、ここから物語は、
1)「友だちのフランチェスコ」を待つコイン
2)「フランチェスコと同じ境遇の子供たち」のもとへ行く青矢号
という、二つの物語に分岐することになります。(それらが最後にピタッと合わさって、ひとしおの読後感を得るところに、作者ロダーリのストーリーテラーの手腕がうかがわれます)。
それにしても、フランチェスコはこの寒空の下、いったい今どこで何をしているのでしょうか?
というわけで、次の14章は、少し時間をさかのぼってフランチェスコの身に起こった出来事が語られます。以前、おもちゃの兵隊の将軍が、「フランチェスコは誘拐されたに違いない」と言ったことがありましたが、実はそれと近い出来事が彼の身に起こっていたのです。
割愛しようかとも思ったのですが、以下にあらすじだけ書いておきます。
フランチェスコの家では最初、新聞売りだったお父さんが病気になってしまいます。フランチェスコがその代わりに働くようになり、「しっかり場所を守るんだよ」とまわりにも応援されていたですが、とうとうお父さんが亡くなってしまいます。新聞配達は競争が激しくて、お父さんが死んだ今となっては、販売権を引き継ぐことは許されませんでした。
そこでフランチェスコが次になったのは、映画館の売り子でした。その収入が前よりも悪くなったため、ずっと家賃の安いアパートへと引っ越さなければならなくなったという次第です。(コインたちがたどり着いたのが、もぬけの殻となった、前の家だったというわけです)。
そんなフランチェスコが、いつも日課にしていたのが、ベファーナの店のショーウィンドウにかざられた青矢号をながめに行くことでした。
ある時、フランチェスコがくたくたになって家路につこうとすると、不意に路地裏からにゅっと手が伸びてきて、口をふさがれます。その手の正体は、二人組のどろぼうでした。彼らは、ちょうど狙っていた店の窓を潜り抜けるのに、子供が適していることを思いついたのです。そして、子供をおどかして自分たちの悪行の片棒を担がせようとしたのでした。
そんな不運に遭ったフランチェスコでしたが、機転を利かせて(どろぼうたちの入って来れない)店の中で大声を上げることで、警察が来るまで時間を稼ぎます。
けれどもフランチェスコを見た警官の目は至って冷ややかなものでした。「嘆かわしい。こんな小さな子が悪事をしでかすなんて」と。そうした誤解をとくことが小さなフランチェスコにはできず、彼は警察の車の中で、二人のどろぼうたちの間にはさまれながら、署まで送られることとなったのでした。
そんなことがあったのが、あのおもちゃたちがベファーナの店から抜け出した日だったのです。
そしてどろぼうが入った店というのが、実は「ベファーナの店」そのものだったのです。店の中には折り悪く、おもちゃたちが姿を消してしまっています。そのため、フランチェスコがほしかった青矢号は、一転、彼の盗もうしとした品と見なされてしまいます。
このようなわけで、おもちゃたちが見つけようとしていたフランチェスコは、ちょうどその時、警察の尋問を受けていたというわけなのでした。果たして、どのような結末を迎えるのでしょうか。
(パトカーの中でうなだれるフランチェスコ)
百人一首は、この日残りの50首を全部を吹き込みました。来週と半分ずつ吹き込もうと思っていたのですが、「今日みんなよんでしまいたい!」とのことだったので、そうしました。
というわけで、次の週は、お手製の音源を使って、いざ、かるたに興じましょう。