浅野です。
Sさんは近づいてきた推薦入試の過去問をして、答え合わせをいっしょにしました。前回までに図表の読み取りや語法の穴埋め問題が苦手だということが明らかになり、その対策をしてきました。この間対策をしてきたことはしっかりと発揮できていましたし、文法の理解もできていました。あとは語彙を増やすだけだということを強く認識してもらえたようです。初めて過去問をしたときは暗中模索だったのが、今では状況がはっきりとしてきたことだろうと推測します。
Our school is the building the roof of which we can see from here.
(私たちの学校は、ここから屋根が見えるその建物です。)
という文がわかりづらいとの質問です。確かに変わった形をしています。それでも例によって元の2文に分解してみます。
① Our school is the building.
(私たちの学校はその建物です。)② We can see the roof of the building from here.
(私たちはここからその建物の屋根を見ることができます。)
いつも通り2文目(従属文)の重なる語(the building)を消して、その代わりに物なのでwhichを置きます。いつもならそのwhichを先行詞(the building)の直後に持っていくわけですが、今回はthe roof of whichごと持っていきます。そこがややこしいのですね。
さらに話をふくらませますと、同じ意味内容を
Our school is the building whose roof we can see from here.
と書くこともできます。
この場合も元の2文を考えると、
① Our school is the building.
② We can see the building’s roof from here.
となります。今度は所有格なので(the building’s)、whichではなくwhoseを用います。そしてwhose roofをセットにして先行詞の直後に置くと出来上がりです。
「その建物の屋根」を英語で”the roof of the building”と”the building’s roof”の2通りに表現できるので、それに応じて関係詞を用いた文も2通りできるわけです。
丁寧なご説明を有り難うございました。
二つの例文のうち、前者は the builiding を it で表せるのに対し、後者は its となります。従属文において、先行詞が it という主格の場合は which となり、its という所有格の場合は whose になるわけですね。古典の文法と同じです。先生がなさったように、複文は二つの文に「分ける」のが鉄則です。
英語であれ他の言語であれ、文法に則し論理的に理解すれば、1を聞いて10を知ることができます。その意味で、中学の英文法は重要な基礎となります。
一方、(私がそうでしたが)、文法の分析が苦手なタイプの生徒は、10を知るには10以上の勉強をしなければいけません。「感覚的に」(=なんとなく)こうだろう、というあてずっぽうでも解ければよい、と開き直るには(つまり、文法はどうしても性に合わないので)、他人の10倍以上の勉強をすべきです。
具体的には、暇があれば英文を読んだり聞いたりする、といったインプットの絶対量を意識的に増やします。わかってもわからなくても英語漬けの生活にします。もやもやした勉強法です。もやもや感が気持ち悪いので、意識して英文を暗記します。暗記した英文はそのまま紙の上に再現できるまで「暗写」します。こうすれば自分で自分の英語の定着を添削できます。
英語が苦手な人というのは、文法もきっちり学ばないし、英語と接する絶対量もおおいに不足している、ということだと思います(つまり、上のどちらもやらない)。このクラスで実証されているように、学校英語は基本的に文法をていねいにやれば道は開けます。これは本当に「近道」です。
一方、遠回りでも、「量で勝負」するやり方もあるということです。本当は、両方やるのがよいのです。量で勝負することも覚えれば、試験の本番でどのようなタイプの英文が出てきても、対応する「直感」が身についていきます。具体的には、わかってもわからなくても(もちろんわかろうとしながら)、英語を辞書なしに読む訓練をしなければなりません。
文法を丁寧にやるだけだと、英語は「きっちり細部まで読まないといけない」と思いがちです。試験で大きな得点源は「読解問題」ですが、「木を見て森を見ず」の状況に陥ると、得点できません。
長々書きましたが、「きっちり細部まで詰める」学習と並び、「ずぼらに(というと語弊がありますが)大づかみして読む」練習必要になるでしょう。これは、山の学校でできることではなく、自宅や学校で10分、20分単位の時間を利用して長文の大意をつかむ訓練を積むことを意味します。
重要なご指摘をありがとうございます。
その次の週(10月22日)の記事を書いてからこのコメントを読ませていただきました。Sさんが突き当たっている問題にも大いに関係します。
入試の長文、ひいては実際の英文を100%理解できることなどめったにないのですから、ある程度は強引に読み進めることも必要です。しかし強引に読むといっても、全くの当てずっぽうで読むのではありません。何となくこうではないかなと、これまでの知識を総動員して読むのです。これまでに大量の英文を読んできたならいちいち文法を意識しなくてもおよそ正しく構造をつかむことができます。母国語ではそのようにしているはずです。他方で、近道をするなら文法の出番です。もちろん両方から攻めるのが一番です。実は文法問題でも同じで、大量の英文に触れていると、その理屈は説明できなくても、なんとなくで正解を選ぶことができます。私はこれを「根拠のあるカン」と呼んでいます。
自分のことを振り返ると、どちらかと言えば文法派だったと思います。慣用表現などもなるべく直訳をして考えました。例えば、"He is anything but a gentleman."という英文は「彼は紳士以外の何かだ⇒彼は決して紳士ではない」といった具合にです。しかし文法で考えることには限界がありまして、動詞を含む熟語などは基本的に覚えるしかありません。そして英語に触れる絶対量が増えるにつれて文法の理解も深まったことを付け加えておきます。
ここでは「文法」と「量」の二つの切り口について書きましたが、さらに「背景知識」というまた別の切り口も紹介しておきます。私はこの背景知識に最も頼ってきました。入試で出題されるような英文の内容はだいたい少し読めば見当がつきますし、専門の論文を読むときでもその著者の思想がだいたいわかっているとはるかに簡単に読めます。背景知識を得るためには日本語と英語を問わずたくさんの文章を読むことが重要なので、「量」に含まれるかもしれません。
ともかく試験や実際の英文を読むときにはあらゆる知識を振り絞ることです。そして日々の学習ではして無駄なことはないので、その時その時に一生懸命に取り組むことです。