福西です。
このクラスでは、新しく『青矢号』を読んでいます。1章1章が短い(10ページ程度)ので、毎週2章ずつのペースで読んでいます。
このお話の舞台はイタリアになります。向こうでは1月6日に「エピファニー」というお祭りがあり、ベファーナという魔女(おばあさん)が子供たちにプレゼントを配って回るという伝承が下敷きになっています。
そのベファーナのお店のショーウィンドウには、毎年子供たちがほしがるようなおもちゃが飾られています。それを見に来る子供たちの思いは様々で、たとえば家が貧しくてベファーナにお願いできない子供たちもいます。
というのも、子供たちは親に頼んでベファーナに手紙を出してもらい、欲しいプレゼントを注文します。そしてそのおもちゃの代金は、あとで親がベファーナの店に払うという仕組みになっているからです。
この物語の中では、ベファーナは本物の空飛ぶ魔女ですが(そのことはあとで分かるようになっています)、ただし周知されているサンタクロースとはだいぶ性格が異なります。
「だれだろうとけっこうだけど、ドアぐらいしめてほしいもんだね」
と言う、ぶっきらぼうな口調からも想像できるように、このおばあさんは、けっして愛想で子供たちにやさしい顔を見せたり、自分から慈善を施すような人ではありません。
なけなしの勇気を振り絞って、店の中に入ってきたフランチェスコもまた、冷たくあしらうベファーナに、こう尋ね返すのがせいいっぱいでした。
「でも、ぼく、手紙ならもう書いたの」
けれども、フランチェスコを覗き込むベファーナの返事は一貫しています。
「誤解がないようにいっておくけれど、あたしはやさしくもないし、いじわるでもない。あたしはしごとをしているだけなんだ。つまり、ただではしごとにならない。ぼうやのお母さんは、プレゼント代をはらうお金を持っていなくてね」
と。つづけてベファーナは言います。
「去年の木馬の支払いも、二年まえのコマの支払いもまだだからって(母親に)言ってやったんだよ。ぼうやは知っていたかい?」
フランチェスコはうなだれて店を出ていくしかありませんでした。その時の作者の言葉が、『母親というのは、自分がこまっているときには、子どもになにも話さないものです』とあり、このような大人の葛藤した背景があるのも、今の4年生の生徒たちにはさりげなく分かるように感じました。
さて、話が進み、ベファーナの店にいたおもちゃたちは、フランチェスコの涙を見てもらい泣きをし、こう思いつきます。
フランチェスコの欲しがっていた「青矢号」に乗って、「フランチェスコを励ましに行こう」と。
こうしておもちゃの大脱走の計画が実行に移されます。ここで、おもちゃたちのリーダー的な存在で、よくセリフの出てくるのが、片ヒゲ船長、銀バネ大将(インディアンの酋長)、将軍、青矢号の駅長となっています。
最初はこれらの人物に混乱があるかと思いますが(私が最初読んだときはそうでした)、おいおいつかんでいきましょう。
たとえば
「まるで~なクジラが千頭、いちどきにおしよせたみたいだ!」
「まるでクジラが千頭、いちどきに~したみたいだ!」
と、片ヒゲ船長のセリフが、しょっちゅう(それこそ1章に必ずと言っていいほど)繰り返されます。そういうリズム感も、たよりになるかと思います。
そして登場人物にもう一人、生徒たちが朗読する楽しみの一つとなっている、「コイン」がいます。これは子犬のぬいぐるみで、フランチェスコの足取りを嗅ぎ分けるうえで重要な役割を果たします。生徒たちはとりわけ、コインの挿絵がかわいいこともあって、この子犬のセリフには感情が入るようです。
(この絵の中の白い犬です。ちなみに昔なつかしの版の表紙では、右のようになっています)
さて、このお話で一つ心に残る章がありました。
おもちゃたちの中に、最初の脱落者が出ます。
それは黄色いクマのぬいぐるみで、そこは目的のフランチェスコの家ではないのですが、青矢号が最初に通りかかった貧しい子供の家に、自分がベファーナのプレゼントとして残ると言い出すシーンがあります。
青矢号は先を急がなくてはなりません。また最初、コインが「ぼくがここに残る」と言うのですが、においの手がかりを見つけられるのはコインだけなので、それはならぬとみなから反対されてしまいます。そこで、申し出たのが、今まで黙っていた黄色いクマのぬいぐるみです。
IちゃんとMちゃんがその個所を朗読してくれたという思い出のためも、以下に抜き書きしておきます。
「そのぉ・・・・・・コホン」
緊張をやわらげるために、もう一度せきばらいをしてから、黄色のクマくんが話しはじめました。
「ぼくはもうくたくたで、これ以上、世の中を旅することはできそうにない。だからここにのころうと思うんだけど、どうかな?」
けなげなクマくん。やさしい心の持ち主であることをみんなに知られるのがてらくさかったらしく、自分がなまけものだからこの場にとどまることにしたかのように説明したのです。ほんとうにやっさしい心の持ち主は、なぜかそのことを他人に知られないようにするものです。
たくさんの目が、いっせいに黄色のクマくんに注がれました。クマくんの性格からすると、あまりに多すぎる数です。
「そんなふうにぼくのことを見ないで」
とクマくんはいいました。
「あんまり見られると、ぼく、赤いクマになっちゃう。ぼく、ただのなまけものなんだ。ここにのこることにすれば、このベッドで朝までねむってられるでしょ。みんなは、この寒さの中、フランチェスコの家をさがして町を歩きまわらなければならないんだよ」
お気づきかと思いますが、このようにして、ベファーナが配る予定だったおもちゃたちは、自らの意思で、自分との縁を感じた子供たちのもとへと、一人減り、二人減りしながら、配られていくのでした。
生徒たちの声も心なしかこの章あたりから感情移入がなされきたように感じました。