岸本です。
今回は、『イスラーム文化』の第二章「法と倫理」の後半を読み、議論を行いました。
前半では、イスラーム法が成立した時期であるメディナ期に、宗教としてのイスラームが社会的宗教となったという議論が展開されていました。
その背景には、人間観や世界観の変化がありました。
かつての自己否定的な人間観・世界観から、メディナ期には自己肯定的な人間観や世界観に変わったのです。
これによって、神が創った現世にも価値が見い出され、現世において神の意志を実践することがムスリムの正しい生き方と考えられるようになりました。
重要なのは、それがイスラーム共同体、ウンマの任務であるということです。
共同体全体でその任務を果たすためには、行動の指針が必要とされました。
そこで、現世に生じた問題を神の意志に沿って処理するために、絶対善から絶対悪まで五つの基準が設けられます。
簡単に言えば、全ての物事をこの基準に当てはめたのが、イスラーム法なのです。
生徒さんは、飲酒という行為が五つの基準のどれに当てはまるのか、疑問を持ってくれました。
イスラームで飲酒は禁止されているため、絶対悪というすなわち禁忌(ハラーム)と考えられます。
しかし、実際には飲酒が認められる国もあります。
あくまでも本書で示された基準によれば、飲酒は相対悪(法では認められていないが罰せられない)とも考えられるのです。
このように、イスラーム法を制定する考えは多様で、それが歴史上多くの学派を生んできたのです。
生徒さんも、議論を通じて様々な学派が誕生した理由を実感できたのではないでしょうか。
さて、法律の考え方は多様でも、それらはみな『コーラン』、そしてそれを補足する「ハディース」の解釈から導かれます。
ただし、第一章でも述べられたように、解釈次第でどのような法律も導き出せるようになると、秩序は成り立ちません。
そこで、法律に関する聖典の解釈「イジュティハード」はイスラームの歴史の初期に禁止されました。
「イジュティハードの門」は閉じられたのです。
これによって、共同体としてのイスラームはイスラーム法という形で固定化され、強固な文化的構造体になりました。
しかし、逆に自由な解釈の禁止は、精神的な意味での宗教の衰退につながります。
井筒氏に言わせれば、これが近世イスラーム文化の凋落の原因でした。
他方で、内面的・精神的なイスラーム文化も、これまで見てきた共同体としてのイスラーム文化に対抗する存在として継続していました。
この両者のイスラーム文化の矛盾的緊張が、イスラームを独自の文化構造体に発展させたと、井筒氏は述べます。
来週は、内面的・精神的なイスラーム文化を議論していきます。
帰りに、イスラーム教の裁判がどのように行われているのかという話題となりました。
最近、エジプトでスポーツの試合の暴徒に死刑判決が科されたというニュースもあり、イスラーム法が現在の社会でどのように実行されているのかが気になったようです。
私自身もよくわからないのですが、そのような点まで興味をもってもらえただけでも、このクラスの成果が出ているのではないでしょうか。
来週でこのクラスも最後ですが、生徒さんの学びの意欲に負けないように、最後まで気をぬかないようにしようと思います。