福西です。
この日は、先週持ち帰ってくれた札を15首ずつ吹き込みました。これで計50首まで吹き込めました。
最初は手探りでよんでいましたが、2回目になると、事前に「先生、これどう読むの?」「これで合ってる?」と、自然と確認してくれるようになってきました。正確なよみに対する意欲が出てきたことは、もちろんいいことですし、私も聞いてくれた方が嬉しいです。
本当は節をつけてよんだり、競技かるたではよむ速度に決まりがあったりするのですが、あまり欲を出してもきりがないので、今はそのあたりは伏せておくことにしています。
さて、淡々とよむだけの作業なので、最初のうちは「いつか飽きが来ないかな・・・?」と内心、心配していたのですが、取り越し苦労だったようです。次によむ札もさっそく選んでくれて、それをこの日も持ち帰ってくれました。
歌札は、姫がなくなって、二番人気の坊主(笑)も売り切れてしまったので、次は「読みやすい札はないかな・・・」という調子で探し始めました。
そこで、私からは「の」の多い札をおススメしました。(秋の田のかりほの庵の・・・」のような)
あと、地名の出てくるものも、その部分はすっとよめるので、これもまたおススメです。(「淡路島通ふ千鳥の啼く声に・・・」のような)
そのようなちょこっとしたアドバイスをするだけで、生徒たちはまた目を凝らし出して、「あ、これもいい」「これも」という調子で選んでくれました。
また、「からくれないに」や「かひなくたたむ」、また「ひさかたの光のどけき」のような、耳に心地よいものも、「こんなんあるけどどう?」とさりげなく勧めおくと、「じゃあそれも!」と手に取ってはそれを試し読みをして、「うん、これもいけそう!」と選んでくれていました。
そのように素朴にこちらの言うことに付き合ってくれて、取り組んでくれることを嬉しく感じます。
『青矢号』は、11、12章を読みました。
「もうすぐフランチェスコの家につくと思う」
というコインの言葉に、おもちゃたちは、コインの邪魔をしてはならないと、いっそう息をひそめます。そしてとうとうコインの予告通り、一行はフランチェスコの家を探し当てます。けれどもそこでまた事件が起こります。
一つは、ベファーナ(と、お手伝いのテレザ)にまた発見されてしまったのでした。けれども何とか事なきを得て、逆にテレザをリリパット国のガリバーよろしく拘束することに成功します。その時おもちゃたちは、テレザの持ち物から、「おもちゃをもらえない子供たちの住所リスト」を手に入れます。
もう一つの事件は、せっかく見つけたフランチェスコの家が、「今はもうだれも住んでいない空き家」だという事実を知ったことでした。
さて、ここでおもちゃたちは二択を迫られます。
1)あくまでフランチェスコの行方を探す(当初の目的)
2)おもちゃをもらえないたくさんの子供たちの家へ赴く(新しい目的)
2)は、テレザからちょうど入手したリストに基づきます。その中には5人ほどの「フランチェスコ」という名前が書かれていました。ということは、そのうちの「だれか」が探しているフランチェスコなのだから、総当たりでいこうというアイデアです。(実際にはおもちゃたちが一人一人子供たちのもとへと配られていく物語に転じます)。
銀バネ大将が、とうとう次のように決断します。
「われわれは、ここに書かれているフランチェスコたちのところへ行く」
と。
こうして青矢号の仲間たちは、物語の後半に差しかかって、目的(進路)の変更を迫られたのでした。
しかし完全に切り変わったわけではありませんでした。
実際にはここから物語が「二手」に分かれることになります。というのも、これは次章の内容になりますが、コインが「ぼく、やっぱりみんなとは行かない」と言ったからです。さて、それはどういうことなのでしょうか。
というところで、次の週にとなりました。