健哲です。しぜんCクラス、最初のブログとなります。よろしくお願い致します。
秋学期初日のしぜんCクラス。1年生5人組の元気な顔がそろいました。
長い夏休みが明け、小学校のリズムにまだ乗り切れていないのでしょうか、一刻も早く外へ飛び出したいというようないつもの勢いが無く、不思議と静かな雰囲気です。
そうした中、みんなとゆっくり語り合う一日となりました。
まずはしぜん日記。銘々が嬉しそうに、少し恥ずかしそうに、ファイルから取り出します。
「ほづがわくだりのふねは、かわをくだったあとどうしてふねをもどすのですか。」
亀岡から嵐山まで16km、2時間かけて下った船をどうやって上流に運ぶのか…色々な事を想像してご家族で盛り上がったのかもしれません。
また、彼女は一冊のノートも見せてくれました。
「かぶとのにっき」
それは、年少の頃から現在に至るまで大事に育て、繁殖させてきたカブトムシの記録でした。
ご家族で一緒になって、生物を可愛がり、驚きや喜びを共有している様子がありありと伝わってくるものです。
Y.Kちゃんは、いつもストレートに疑問を投げ掛けてくれます。今回は、
「ハリせんぼんはなぜふくらむの。」
「このたねはなんのたねですか」の二つでした。
後者はお友達がくれた何かの種子が、セロテープで貼り付けてあります。
その種を見た瞬間、記憶の底から「落下傘」遊びが蘇りましたが、花の名前が出てきません。後で調べてみると、どうやらオシロイバナの種子のようでした。
「答えを知りたいなら、植えてみるのはどうか」そんな提案をしておきました。
彼女は他にも素朴な疑問を色々と投げ掛けてくれます。
「うさぎはどうしてはねるのか、かめはどうしてゆっくりあるくのか・・・」
日記へのコメントでは、答えに近いヒントを述べるに留め、今度は疑問があったとき「自分はどう考えるか」も書いてくることを提案しました。
S.Y君は今回、5枚ものにっきを提出してくれました。
「みずがはいったプリンのかっぷにスプーンをいれて
そとからみるとおおきくみえるのはなぜだろう。
みずのりょうとかんけいしているのかな?
いれもののぶあつさとかんけいしているのかな?」
そう綴った上で、もう一枚の紙に実験結果を記してくれました。
また、気付いた事や疑問を箇条書きで、2枚の用紙にびっしりと書いてくれました。
「だいやもんどはなぜキラキラしてるのかな」
「くらげはなぜふわふわしてるの」
「なぜあかちゃんはおっぱいをのむのかな」
「クレヨンよごれたてはせっけんであらってもきれいにならなかったけど、ベビーオイルをつけてあらうときれいにとれた」
「じめんにじがかけるいし(がある)」
「あめがたくさんふったつぎのひは だんごむしがたくさんいたよ」
「ぐれえぷふるうつは なんでにがいの」
そして最後の1枚は、一編の詩とも言うべきものです。
「Y(本人)がくしゃみをすると Rちゃんもくしゃみをする S.Y」
妹さんへの愛着が感じられます。
このように、日記から発せられる好奇心の種を、5人でより共有出来るよう、皆からの疑問をとりあげて紹介するプリントを作るようにしてみました。
この日は春学期にもらっていた2つの疑問
「こうもりはなぜさかさまなのか(M.S君)」
「おくらはなぜほしがたなのか(Y.Kちゃん)」
を紹介し、皆で考えました。
この方法は、ピックアップされた本人にとっても嬉しいらしく、全体へもよい刺激となるようなので、今後も続けて行きたいと思います。
おくらの話題から、色々な野菜の形の話題、食べ物の好き嫌いの話などしたあと、N.Sちゃんが持ってきてくれた「クイズ(手品のタネ)」を皆で考えました。
それはこの、口の小さい瓶の中にどうやってまつぼっくりを入れたかというものです。
みんなの記憶の中にある松ぼっくりに、どんな形のものがあったかを思い出してもらい、最後は答えを知っていたG.T君から「水」というヒントを得て、実験してみることになりました。
瓶の中を水で浸しておいて、残りの時間は外へ探検に出かけます。
まずは校舎の南側に落ちているイガグリの観察です。とげに気をつけながら踏んで割りますが、なかなか実は発見できません。
一方、木の上の栗は、青々として大きいです。あの中に実が入っているのでしょうか。
石段をゆっくり登っていく途中、園長先生と育子先生に出会いました。5人とも嬉しそうで、話したいことが沢山ある様子でした。
道すがら、G.T君の手にはいつの間にか緑色に光るカナブン。みんなで観察です。触りすぎたせいか、手に糞をされたT君、「うわ〜」と叫びながら、慌てて手を洗いに行きます。
カナブンを逃がしてやった後、私は家から持ってきたあるものを紹介しました。
それは、「ガジュマル」の鉢植えです。
春学期の終わりに、「おばけ大作戦」(S.Y君発案)と題し、お化けに扮装して遊ぶ試みがあり、「お化けや妖怪っているのかな…」等という話をする事があったので、ちょっとした題材になればと思ったのです。
(写真:「おばけ大作戦」より。どれが誰だか、お分かりでしょうか(笑))
鉢植えを囲み、みんなで石段に腰掛けます。
「このガジュマルという木は、沖縄に生えていて、『キジムナー』という精霊が宿ると言われているんだ。」
「『やどる』って?」
「住んでいる、っていうこと。」
「え!?こん中、住んでるの?」S.Y君が目を丸くします。
「さあ、どうだろう。大木に宿るらしいから、この中にはまだ居ないかもしれないなあ…。」「あ、ここ、入り口じゃない?」木肌に空いた小さな洞を、G.T君が見つけます。
キジムナーは、赤い髪、赤い体をしており、人間と仲がよい事、漁を手伝ってくれる事もあり、大漁をもたらしてくれるという伝説もある事などを話すと、みんな興味津々に耳を傾けてくれました。
確かに、木の根元の「気根(きこん)」と呼ばれるニンジンのような樹形を見ていると、何かそうした話を信じたくなるような、不思議な気持ちに捕らわれるものです。
しかし、このような感じ方は、自然を畏敬の対象として感じる一つの方法であり、決して特別な事や、間違った事ではない、まさしく「しぜん」なことです。ヤモリを「家守」、テントウムシを「天道虫」と名付ける行為の中にあるのは、我々が自然のものを、親密なものとして感じ、敬ってきた証です。しぜんクラスに来てくれるみんなが、これからも沢山の自然たちと出会い、心を通わせてくれる事を願っています。
(この日は運良く、ハムスターのぽんぽん丸にも出会う事ができました。近所の小学生のお友達が、バスケットに入れて時々散歩に連れているのです。)
教室に戻ると、水中でまつぼっくりはすぼんでおり、見事取り出す事に成功しました。次回もどのような出会いや展開が待ち受けているか、楽しみです。
このエントリーを読めば、先生と子どもたちとの実に生き生きとした会話のやりとりが、その部屋のゆったりとした空気の感じも含めて実感できます。
しかし、こういうやりとりの中身を、はたして一人一人の子どもがどれだけ正確に自分の口で親に伝えることができるだろうか?という疑問もわきます。親御さんが「今日はなにをしたの?」と尋ねられても、きっととらえどころのない返事が返るのがオチではないでしょうか(^^)
頼りないといえば頼りないのですが、子ども時代の「豊かな思い出」とは、そうしたゆったりとした空気の中から醸造されるのではないかと思います。私は健哲先生のブログを読ませていただくと、「懐かしい」という言葉が浮かびます。今、この子どもたちの輪の中に自分がいるような、妙な錯覚さえ覚えます。