岸本です。
先週のお休みを経て、今日から井筒俊彦の『イスラーム文化』を読んでいきました。
哲学者や言語学者として知られる著者は、『コーラン』の訳を出版するなど、イスラーム文学者としても著名でした。
その著作の中で、この『イスラーム文化』は一般の人々に向けた講演を基に書かれたもので、入門書としては名著と名高い作品です。
今回は「はじめに」を生徒さんがレジュメにまとめ、それを基に議論を行いました。
「はじめに」では、本書の目的とその意義が説かれます。
目的は「一つの文化構造体としてのイスラームの最も特徴的とかんがえられるところ」を考えることでした。
それが副題ともなっている「根柢にあるもの」ということなのでしょう。
しかし重要なのは、なぜ「根柢にあるもの」を考える必要があるのかです。
井筒は「いま」、「日本人」の視点からイスラーム文化を考える意義を主張しました。
一つは「時局的意義」です。
当時(1981年)は、第四次中東戦争やイラン革命、イラン・イラク戦争が続き、日本にもその影響が出ていました。
しかし、井筒はもう一つの意義を本書において重視します。
それは、狭くなった「地球社会」の中で、日本がイスラームとうまく付き合うために、相手を理解することです。
その主張の中で、イスラーム文化をカール・ポッパーの「文化的枠組」の概念に当てはめて考えていました。
「文化的枠組」同士は必然的に対立するため、グローバル化が進んだ現代世界では、人類の将来を危うくするというマイナス面を持ちますが、他方でその対立は「文化的創造性の源泉」というプラス面も持っています。
危機を避け、「創造的エネルギー」を生かすのは、対立する「文化的枠組」に属する人々です。
例えば、日本とイスラームという「文化的枠組」が対立するならば、日本人にも、それを良い方向へ導く責任の一端があります。
目的に掲げた「イスラーム文化」の「根柢にあるもの」を通じて、イスラーム文化への理解を深めることは、その責任を果たすためにも必要だと、井筒はいうのです。
イスラーム文化を研究する意義を、大胆にかつわかりやすく一般の人々にも伝えている点が、三十年以上前のこの本が名著とされる所以の一つでしょう。
生徒さんもその意義を十分に理解し、いまの日本が置かれている国際情勢を解決するためにも、本書のような視点は有用であると考えてくれました。
来週からは、この大きな意義を念頭に置きながら、読み進めていく予定です。