岸本です。
冬学期も太宰治の『人間失格』の続きを読んでいく予定です。
学期のはじまりでしたが、お休みが多かったのは残念です。
前回家出した葉蔵は、堀木の家で出会ったシヅ子の家に転がり込むことになりました。
「男やもめ」のような生活に、自ら嫌悪感を抱き、彼女に自らの絵の才能を示そうとした葉蔵でしたが、それを示すであろう中学の頃描いた「お化け」の自画像は、今は手元からなくなっていました。
口で言っても理解されない気持ち、「飲み残した一杯のアブサン」、「空転の煩悶」に、葉蔵は苦しんでいました。
なんとか漫画を描きながら、自らお金を稼いでいた葉蔵は、ある種の「侘しさ」を感じつつ、シヅ子の連れ子シゲ子に「幽かな救い」を感じていました。
葉蔵を「お父ちゃん」とまで読んだ彼女でしたが、そんな彼女が神様へのお願いに「本当のお父ちゃん」を望んでいたことを知り、幼い彼女ですら、彼にとって「敵」、「他人、不可解な他人、秘密だらけの他人」であったことに気付くのです。
「男やもめ」のような生活に、自ら嫌悪感を抱き、彼女に自らの絵の才能を示そうとした葉蔵でしたが、それを示すであろう中学の頃描いた「お化け」の自画像は、今は手元からなくなっていました。
口で言っても理解されない気持ち、「飲み残した一杯のアブサン」、「空転の煩悶」に、葉蔵は苦しんでいました。
なんとか漫画を描きながら、自らお金を稼いでいた葉蔵は、ある種の「侘しさ」を感じつつ、シヅ子の連れ子シゲ子に「幽かな救い」を感じていました。
葉蔵を「お父ちゃん」とまで読んだ彼女でしたが、そんな彼女が神様へのお願いに「本当のお父ちゃん」を望んでいたことを知り、幼い彼女ですら、彼にとって「敵」、「他人、不可解な他人、秘密だらけの他人」であったことに気付くのです。
生徒さんは、この葉蔵の気持ちに一定の理解を示しながら、彼の絵画に対する自信やシヅ子の葉蔵の評価が、それぞれの「思い込み」ではないかと、考えていました。
その指摘自体は面白いところですが、ここではその客観的な評価というより、それが各々の行動を規定していること、それが生々しく描かれていることに注目してほしいと思います。
来週は、葉蔵の「思想めいた」部分のため、難しいかもしれませんが、少しずつでも読めればと思います。
この作品は有名ですが、これだけ丁寧に読む機会を多くの人は持てずにいるのではないでしょうか。教科書に載せるとしてもそのごく一部でしょうし。中学生にとって大変な言葉の山登りに相違有りませんが、ぜひ最後までがんばって登り切って欲しいと願っています。