高木です。
秋学期からも、どうぞ宜しくお願いいたします。
今日は、夏休みで印象に残っている場面を作文に書いてもらいました。
ただし、今回は、表現力を磨くために、あえて以下のようなルールを設けました。
2 その写真に写る静止した光景を、言葉のみで再現する。
3 ただし、できるだけ客観的に、できるだけ細密に、再現すること。
実際にやってみると分かりますが、これは、夏休みの思い出の作文としては、
かなり特殊な書き方になります。
なぜなら、このルールに従えば、自分の主観的な感情を、書くことができないからです。
「プールで泳いで気持ちよかった」と書くとき、すでに写真に写らないものを書いているのです。
それでも、プールで泳いで気持ちよさそうな顏は、書くことができるでしょう。
また、同じ理由で、視覚以外の感覚(聴、触、味、嗅)についても、書けません。
「森でセミの声におおわれた」と書けば、それは写真に写らないものを書いていることになります。
ただし、木にとまって命からがら鳴くセミの姿は、書くことができるかもしれません。
言葉にしにくい、微妙なものは、たくさんあるとおもいます。
ただ、それを、苦心しながらも、言葉を尽くして再現していくところに、
表現力は磨かれるのだと、私は思います。
「楽しかった」と一言書けば済むところを、あえてそういう言葉は使わずに、
あのとき、あの瞬間を構成したものを、
感情を交えず、取捨選択をせず、ひとつも残らず静物画のように書き尽くすこと。
そういう描写の力によって、読者に「楽しさ」が伝わっていくなら、
それこそが、本当の表現力ではないでしょうか。
実は、こうした「言葉のスケッチ」には、昨年度も、一昨年度も、取り組んでいます。
今年度は、そこに改良を加えています。
この取り組みの主旨を説明すると、
A君は、巨大な魚を前にした釣り人のように、ニヤッとしていました。
H君は、いつものように飄々とうなずいていました。(K君はお休みでした。)
2人とも、60分間、延々と書きつづけていました。
クラスの終了時点で、原稿用紙の2枚目の途中まで書いていたH君は、
「やっと人間が1人、書けたところ」と言っていました。
人間1人の一瞬の様子を、それだけの厚みで表現できたことは、率直に言って、すごいです。
来週もこの続きに取り組みます。
斬新でおもしろい取りくみですね。これだけ克明に何かを描ききる経験はそうざらにないでしょう。この練習をふまえると、プロの表現技術から学ぶ下地もできるのでしょう。一般にはこの練習を経験させず、いきなりプロの文章の「解説」から入ります。