高木です。
今日は冒頭に、先週から読み始めている宮沢賢治の詩「烏」を、
もう一度みんなで数回ずつ朗読しました。
音に身を任せる詩の朗読は、何度繰り返しても良いものです。
その後、先週お休みだったA君のために少しおさらいして、
「烏」の意味の続きを一緒に考えていきました。
烏
宮沢賢治
水いろの天の下
高原の雪の反射のなかを
風がすきとおって吹いている
茶いろに黝(くろず)んだからまつの列が
めいめいにみなうごいている
烏が一羽菫外線(きんがいせん)に灼(や)けながら
その一本の異状(いじょう)に延びた心にとまって
ずいぶん古い水いろの夢をおもいだそうとあせっている
風がどんどん通って行けば
木はたよりなくぐらぐらゆれて
烏は一つのボートのように
……烏もわざとゆすっている……
冬のかげろうの波に漂う
にもかかわらずあちこち雪の彫刻が
あんまりひっそりしすぎるのだ
(一九二四、四、六)
先週は、「烏」が「おもいだそうとあせっている」「ずいぶん古い水いろの夢」とは何なのか、
ということをめぐって、みんなで意見を取り交わし合ったところで、時間が来ました。
今日は、その後の、「からまつの列」が風に吹かれて「たよりなくぐらぐらとゆれて」いる様子が、
「冬のかげろうの波」に喩えられていること、
そして、その「波」の上に、まるで「ボートのように」「烏」が「漂う」様子が描かれていることを、
みんなで一緒に確認しました。
それを確認すると、「水いろの天」、「水いろの夢」に次いで、
実はここに、もうひとつの「水いろ」が隠されていることが知れます。
それはつまり、「烏」が漂っている「海」のことです。
そして、その「海」の「波」を、「烏もわざとゆすっている」。
ではなぜ「烏」は「わざと」ゆすらなければならないのか。
それは、「烏」が「水いろの夢をおもいだそうとあせっている」様子と関わっているのかもしれない。
とりあえず意味の探索はここまでにして、
あとは各自で詩の感想文をまとめてもらうことにしました。
原稿用紙に向かいながらA君は、
「この詩は『春』に関係あるな。
だって春(四月六日)に書かれてるし、収められてるのは『春と修羅』やし」と気づきました。
詩の本文はずっと雪景色であるだけに、ここに気づくのは鋭いと思いました。
H君は本当に感心したように、「すごいな! よくそこに気づくな!」と言っていました。
またA君は、「雪は『ひっそり』してるから、まだ溶け出していない。
つまり、まだ冬の真最中でもある」と言います。
そしてこれらから、「これは春を待つ冬のことかな」と、イメージを膨らませてくれました。
こうしていろいろ書きつ語りつしているうちに、今週は時間が来ました。
来週は感想文の続きから取りかかります。
何度読み返しても違う発見があるというのが詩の特徴です。自分一人で読んでもそうなのですが、友達と一緒に読むと、様々な解釈の可能性に気づかされ、よい刺激を得ます。お書きになったエントリーから生徒同士十分刺激を与え合っているようで何よりです。