岸本です。
2013年のクラスも、今日から始まりました。
昨年は、オスマン帝国の歴史を20世紀まで議論しました。
今年最初のクラスは、オスマン帝国支配下のアラブ地域を見ていきました。
アラブ地域とは、アラブ人の住むシリア、イラク、エジプトなどが含まれますが、オスマン帝国支配下のアラブ地域は、あまり顧みられません。
しかし、オスマン帝国の中心である小アジアだけでなく、それ以外の地域を見ることも、イスラーム教の世界を全体的に見ていくうえで重要でしょう。
イスラーム教世界の中で、「トルコ」と「イラン」は一つの民族として統一国家を形成しました。
しかし、アラブ地域では、今の地図を見てみればわかる通り、多くの国家に分かれています。
その背景には、オスマン帝国が勢力を減退させた17世紀以降のこの地域の歴史があるのです。
例えば、シリア地域では、18世紀以降地域の有力者アーヤーンが台頭してきます。
他方で、シリアの一部であったレバノンは様々な宗派が共存している地域でしたが、19世紀以降の対立が政治的に利用され、最終的にはシリアから分離され、現在の国家レバノンとなるのです。
また、アラビア半島は、沿岸部にオスマン帝国の支配が及んでいましたが、17世紀以降は、各地の世襲君侯国が自立し、現在のイエメンやオマーン、バーレーンなどが成立しました。
さらに中部ではワッハーブ運動がイブン・サウード家と結びつき、ワッハーブ王国が成立します。
王国は一時滅亡しましたが、再建されると現在のサウジアラビアとなりました。
生徒さんは、昨年に議論したオスマン帝国中央の歴史と重ね合わせながら、当時のアラブ地域の状況を議論してくれました。
以上のように、アラブ地域はばらばらになっていくのですが、アラブ人の統一国家という構想がなかったわけではありません。
第一次世界大戦中、アラブ人の国家建設を認めるフセイン・マクマホン協定に基づき、フセインはイギリス軍を支援しました。
しかし、その約束は反故にされ、アラブ人の統一国家はなりませんでした。
時間の都合上、今回は18世紀以降のエジプトの歴史を見ていく途中で一区切りとしました。
来週、19世紀末のオラービー革命から議論が出来ればと思います。