岸本です。
今日は「孟子 妻を出す」を読みました。
あらすじは以下の通りです。
孟子には貞淑な妻がいたが、仁を説き広める彼にとって、
妻といることは何か罪悪感を感じるものであった。
妻は気にしないでくださいと言うが、孟子は限界にきていた。
ある朝、ちょっとした事から、妻は自らが出て行くことが、孟子のためになると悟った。
孟子も最初はそれを自分に言い聞かせたが、すぐさま後悔し、彼女を引きとめようとする。
しかし彼女の決心は固く、そこに孟子は自ら説く仁と義の実践を見た。
その後、孟子は諸国周遊のたびに出るのであった。
孟夫人に着目し、彼女の自らを犠牲にする行動を評価し、それに感化された孟子の行動は、それに報いているという意見、また孟子に着目し、彼の行動は全体的に利己主義だという意見が出ました。
前者は、不本意ながら家を出て、夫の大成を願う妻の姿勢を表現し、その行為こそ孟子を聖人としたという意見です。
後者は、妻を出て行くのを黙認したり、引き止めたりする行動は自分勝手だという意見です。
特に後者の視点は鋭く、孟子の行動が何に対して利己主義なのかについて少し話し合いました。というのも、上記のように孟子の行動には一貫性がないからです。結論的に孟子には妻と別れたくないという気持ちと、聖人になるために妻と離れねばならないという気持ちがあり、それらの矛盾した願望が、一貫性のない行動を取らせるが、それぞれの願望に対して「利己主義的」なのだということになりました。
この孟子の心の矛盾に無意識的にでも気づいたのすばらしいと思います。あとはそれを意識に上げて表現することです。
次に孟子について簡単に説明しました。
前4世紀の子思想家であり、孔子の思想を受け継いだ一人です。
彼は孔子の仁の思想を発展させ、後にその思想は『孟子』にまとめられました。
最後に、孟子が聖人たるに必要だったのはなんだったのかという問題提起について、以上の議論を踏まえて考えてもらいました。
それは「仁」であり、そして具体的には「妻が家から出ること」であると二人は述べました。
私はそれを包括的にまとめて「身の回りを世話し、かつ自らのことを理解してくれる人」と示しました。
身の回りをしてくれるからこそ、自らの思想を広めることに専心でき、自らのことを理解してくれるからこそ、自らの思想を深めてくれる。
その体現者として物語では孟夫人が現れていただと。
来週から2週間、教育実習で私はお休みします。(授業は他の先生が代講してくれます。)
その後は、いったんこれまでの話を振り返ってみたいと考えています。
テキストをまずはしっかりと読み、その場で議論を行った上で、また日を改めてテキストを読み返し、再度議論に臨むと、今度は前回とはまた違った意見を持つ自分を発見していたりします。最初の議論では、3者3様の意見があるのだということを知り、二回目以降の議論においては、自分自身の意見にも多様な側面が潜むことを知ります。一貫性がないのではなく、考えが熟していくとき、自ずとそのようなプロセスをたどるという事実を中学生のときにこそ経験してもらいたいと思います。