5/28 ことば(中1~中3)

岸本です。

今日は「孔子 粥にありつく」のまとめを行い、
「孟子 妻を出す」に入りました。

やはり良い意見が飛び出すと、予定より進むのが遅れますね。
嬉しい誤算というものでしょうか。

「孔子 粥にありつく」では、以前提示した疑問
「なぜ孔子は自らの尊厳が損なわれていないと安心したのか」
について、早速意見を述べてもらいました。
自らの過ちを示すことで孔子が得た安心とは何だったのでしょうか。

一つには、孔子による過ちの告白は、良心の呵責の緩和と同様に、自らの精神の安定を生み出し、それが「安心」と感じられたというものでした。
また他には、顔回の行動自体は孔子の尊厳を実際に傷つけてはいなかったということを確認したからという意見もありました。
今回は二人とも似たような立場で、孔子の「告白」を素直に肯定的だと捉えていました。

そこで私はあえてひねくれた意見を述べてみました。
領袖である孔子の告白は、「自分で自分自身を許す」というパフォーマンスであり、それを弟子たちが素直に受け入れたということは、あの失態をうけてなお、孔子こそ領袖であるということが暗に一行の中で了解されていたことを示す。そのような計算の上で、孔子は「安心」したのではないかと。
孔子の「告白」を、二人とはあえて異なった、ややネガティブに捉えた意見を出しました。

次はそれに対する意見を考えてもらいました。
私の意見と自分の意見で最終的な孔子像が異なったという意見や、私の意見には孔子の領袖としての地位による暗黙の脅しが見過ごされており、その点から自らを領袖と認識するのはおかしいという意見も出ました。
特に後者は、多様な見方を示そうと発した私の意見に、更に多様な視点でもって切り込んできたもので、非常に良いものだったと思います。
しばらくその点で議論しましたが、時間的な制約により、いったん打ち切り、孟子の話に入りました。
この納得のいかなかった点について、更に意見を発展させてくれれば、また後で議論できるのではないかと思いました。

「孟子 妻を出す」は語句と内容の確認を行いました。
今回から要約をその場でしてもらいましたが、いきなりは難しかったようです。
今後はその点も考慮して、進めて生きたいと思います。