福西です。遅ればせながら、冬学期からもよろしくお願いいたします。
初回は、前学期に少しだけ残っていた『イソップ物語』(小学館)を読み切りました。これで全部で39編のお話を読んで知ったことになります。そこでふと、本当の『イソップ寓話』には全体でいくつのお話が収められているのか? という興味を持ちました。
岩波文庫の山本光雄訳では358編、中務哲郎訳では471編ありました。この数の違いは、どの校訂本を底本にしているかによるのですが、ここではあまり深く分け入らないことにします。生徒たちは「なーんだ、私たちの読んだのって、少ないなあ」と残念そうに言っていましたが、そんなことはありません。十分の一でも大したものです。今回は一つの区切りとして、今の読後感を大事にしてもらって、大人まで興味を持ち続けてほしいと思います。そうすれば、いつか全体を読み通す日が来ることでしょう。(それは誰かに読んであげようという気持ちになった時かもしれません)。
さて、Iちゃんが、この日読んだ中にあった『アリとセミ』(アリとキリギリス)に注目し、他の訳本ではどんなお話になっているのかを「調べてみたい」と言ってくれました。そこで、IちゃんとMちゃんに、それぞれ先の二つの訳本を手渡して、中から探してもらうことにしました。
アドリブの展開でしたが、ちょっとした謎解きタイムが味わえました。一つには、表題のアリとセミの順番が逆で、中務訳では『蝉と蟻』となっており、また山本訳では『蝉と蟻たち』とアリの方が複数形になっていました。さらに一つには、漢字で探さなければならないということが見つかりにくくしていました。ただ、ちょうど漢字に興味の出ている時だったので、これはいいチャンスでした。アリは「蟻」、セミは「蝉」(右側が「單」の難しい方)と変換して、目を皿のようにして探してくれました。
見つけられると、「あった」という喜びの声が上がりました。そのあとでその見つけたてほやほやのお話を、それぞれ読み上げてくれました。
パターンの違いとして、すぐに気付いたことは、山本訳イソップでは「この物語は、・・・云々」と、結びの言葉があるのに対し、中務訳のそれではありませんでした。(この「ない」というのが大事なバリエーションですね)。また、類似点としては、セミに対するアリの返答が以下のようになっていることが分かりました。
岩波・山本訳(シャンブリ校訂本) 「夏の季節に笛を吹いていたのなら、冬には踊りなさい。」
岩波・中務訳(ペリー校訂本) 「夏に笛を吹いていたのなら、冬には踊るがいい」
どちらも「笛を吹く」と「踊れ」というのが共通していますね。
(山本訳では『蝉と蟻たち』は336、中務訳では『蝉と蟻』は373、にありますので、もし岩波文庫がお手元にありましたら、ぜひお確かめになってみてください。)
Mちゃんが、
「(成虫の)セミは冬には生きられない。だから、キリギリスになったんじゃない?」
という、面白しい指摘をしてくれました。確かにそうかもしれませんね。後世の語り継ぐ人たちも、Mちゃんと同じことを疑問に抱き、合理的に(夏よりも秋に近い)キリギリスへと、セミを変えたのかもしれません。
いつからセミがキリギリスになったのか(あるいはセンチコガネやフンコロガシという異説もあり)、ご興味のある方は、こちらに(日本語のサイトとしてはこれ以上なく豊富な文献をもとにした)詳しいサイトがありますので、ぜひご参考になさってみてください。
『インターネットで蝉を追う』(Barbaroi!)
この日、個人的に面白くて、よくできているなと思ったお話は、『眼医者と老婆』でした。(岩波・中務訳で探すなら、五七『老婆と医者』)。どんな内容か紹介したいのですが、ここでは長くなるので割愛します。生徒たちのお話作りにとっても、起承転結や落ちの付け方のよい参考になりそうなものでした。
この後、次から読む新しい本を選びました。『メアリー・ポピンズ』、『長くつしたのピッピ』、『青矢号』など、いくつかの候補の中から、この『青矢号』を選んでくれました。
(作者は「『チポリーノの冒険』の作者」と言った方が通りがいいかもしれません。エピファニー(1月7日にある、イタリアのクリスマスのような催し)にまつわる、「おもちゃは箱を飛び出して・・・」のようなお話です。1章ずつが5ページぐらいと短いので、短編のように読めると思って候補に挙げました)
後半は「漢字の神経衰弱」を久々にしました。記憶力では小学生にはかなわず、圧倒的大差をつけて、小学生たちが勝ちを飾りました。