
福西です。以下のクラスと、講師からのメッセージを紹介します。
日時:水曜21:40-23:00
講師:林 祐一郎
授業形式:オンライン
講師からのメッセージ:
「辞書にはこう書いてあります」。こんな言葉を、筆者も数多く発してきました。いわゆる外書講読の授業なら、教員からも学生からもこの言葉がよく聞かれます。外国語を読むために、辞書は必携の道具です。もちろん、収録されている語彙数それ自体や、一単語ごとに充てられている訳語の選択肢が多ければ多いほど、その辞書は大きな助けになってくれるでしょう。筆者が担当するドイツ語講読の授業では、小学館の『独和大辞典』や博友社の『木村・相良 独和辞典』、また三修社の『アクセス独和辞典』やドゥーデンのオンライン独独辞典の使用を推奨してきました。著者の提案が受講生の皆さんに役立っているなら幸いです。
しかし、いま一度我々の肝に銘じておきたいことがあります。飲酒にかんする格言と同じで、「辞書は使っても使われるな」。辞書は、自分がよく分からない言葉に対して、説明らしきものを提示してくれます。大抵の場合、それは単なる訳語の例をいくつか列挙したものに過ぎないのですが、我々はそれを唯一の適切な訳語、唯一の正しい答えだと錯覚してしまうことがあります。独独辞典なら意味の説明に自ら力を注いでくれますが、それすら絶対の結論を出すものではありません。なるほど、こうした訳語や説明は、長年にわたる碩学の議論の結晶であって、我々が心から尊重すべきではあります。しかしながら、その知的権威ゆえに、学問的客観性なるものの実態は個々の学者たちの持つ主観が寄り集まった束であり、それが公平ないし中立なものとして仮構されているものに過ぎないということを、我々はしばしば見落としています。辞書は優秀な側近の一人ですが、最後に決断するのは我々自身なのです。
筆者の講読の授業では、前後の文脈や歴史的背景なども踏まえて、学習者に「自分で考えること」を促しています。したがって、講師の訳文に対する批判すら開かれているのです。どの訳語を採用するかをめぐって、講師と生徒、生徒と生徒とで議論が起こることも少なくありません。時には、はっきりとした答えに落ち着くことができない場合もあります。重要なのは、「どうしてこう訳したのか」を、辞書だけに頼らず様々な理由から説明できることです。今や、電卓に数の勘定を任せて久しい我々は、外国語の翻訳も機械に委ねようとしています。果たして、それは「クソどうでもいい仕事」なのでしょうか。AI駆動の人類に、何かを主体的に考え、決断する余地は残されるのでしょうか。翻訳は単純な作業ではなく、思考の訓練なのです。
こうした各自の判断を求める視線はまた、この授業で扱ってきた「歴史」なるものにも向けられます。歴史は過去の事実の羅列でも、単なる教訓の宝庫でもありません。ある特定の過去は、後世に語り直されることでようやく、意味のある「歴史」となるのです。何は語られるべきで、何は語らなくてよいのかを判断してきたのは、過去ではなく現在の方でした。したがって、特定の同じ事象が様々な評価を下され、場合によって激しい論争を呼ぶことは、「歴史」に付き物です。そうしたもののなかでも、2024年度はドイツ帝国の歴史(1871-1918)を共通テーマに、記録番組や研究文献をドイツ語で読んできました。
春学期はドイツの公共放送局ZDFによる動画「ドイツ帝国はどの程度近代的だったか Wie modern war das deutsche Kaiserreich?」の字幕と、デュッセルドルフの歴史家クリストフ・ノン Christoph Nonn による概説書『ドイツ帝国―その成立から滅亡まで― Das Deutsche Kaiserreich. Von der Gründung bis zum Untergang』(München 2021)の序論を取り上げ、秋学期と冬学期は新進気鋭の国制史家オリヴァー・ハールト Oliver Haardtによる学術書『ビスマルクの永久同盟―一つの新しいドイツ帝国史― Bismarcks ewiger Bund. Eine neue Geschichte des Deutschen Kaiserreichs』(Darmstadt 2020)の序論を扱いました。
2025年度の春学期と秋学期はこのテーマを引き継いで、ケルンの全球史家イェンス・イェーガー Jens Jäger による学術書『網目状の帝国―ドイツにおける近代化と全球化の始まり― Das vernetze Kaiserreich. Die Anfänge von Modernisierung und Globalisierung in Deutschland』(Stuttgart 2020)の序論を読む予定です。
そして、冬学期は少しテーマを変え、ハイデルベルクの日本学者ハンス・マルティン・クレーマー Hans Martin Krämer による概説書『日本の歴史 Geschichte Japans』(München 2024)の第8章を読もうと構想しています。19~20世紀の東アジアにおける宗教運動を専門とする彼の描く歴史は、ドイツと日本の近代史に対する我々の認識に、また新たな彩りを与えてくれるでしょう。
しかし、こうした優れた学者たちによる意義深い研究の数々もまた、我々の思考を助けてくれるものに過ぎません。辞書と同じく、「有名な研究者がこう言っている」という理由だけで納得させられるのなら、それは本来の健全な学問のあり方ではないのです。
(林 祐一郎)