毎日何かを学び加えつつ老いていく(のラテン語)

福西です。

ラテン語は、自分が気になったところを、ほんのちょっとでも直訳できると、楽しいです。

昨日、山びこ通信の山下大吾先生のこちらの記事を読んでいて、

『老年について』の 26 節には、ギリシア七賢人の一人として名高いソローンのものした「毎日何かを学び加えつつ老いていく」という言葉が収められています。

という文章が目に入りました。

それで、「毎日~」の原文が気になったもので、例のThe latin libraryで調べてみました。

 

キケロー『老年について』26節より

Quid qui etiam addiscunt aliquid? ut et Solonem versibus gloriantem videmus, qui se cotidie aliquid addiscentem dicit senem fieri, et ego feci qui litteras Graecas senex didici;

それどころか、何かを学び加えていく人はどうだ。たとえば、自慢げな詩を残しているソローン。彼は自分が「何かを学び加えつつ老いていく」と語っている。わしもそうだ、歳をとってからギリシアの文学を学んだ。(中務哲郎訳、岩波文庫)

ソローンが自分の詩の中で、「何かを学び加えつつ老いていく」と自信満々に語っているとのこと。そして、語り手である大カトー曰く、「私もだ」と。

さて、調べたかったフレーズは(引用ではない形に直すと)、

cotidie aliquid addiscens senex fio.

毎日何かを学び加えつつ私は歳をとる。

だとわかりました。(まちがっていたら、ごめんなさい)

ついでに、

litteras Graecas senex didici

歳をとってからギリシアの文学を私は学んだ。

というフレーズも、新しく目に入りました。

調べて「おまけ」がついてくるのって、うれしいですよね。あるあるですけど。

 

以下は、逐語訳のメモです。

それどころか(etiam)

どうだ(quid)

何かを(aliquid)

学び加える(addiscunt)

ような人は(qui)

 

(略)…

 

彼(ソローン)は(qui)

自分で(se)

言う(dicit)

毎日(cotidie)

何かを(aliquid)

私は学び加えながら(addiscentem)

老人に(senem)

なること(fieri)(→なる、ということをソローンは言う)

 

私(=大カトー)(ego)

もまた(et)

成した(feci)

その私は(qui)

老人として(senex)

ギリシャの文学を(Graecas literras)

学んだ(didici)

では、今日も一日。

心にラテン語(とギリシャ語)を!

(大カトー)