《先生》と呼ばれて―2023年度春学期ドイツ語初級・講読授業実施報告―

山下です。ドイツ語の林先生からブログ用に次の原稿を頂戴しました。

《先生》と呼ばれて―2023年度春学期ドイツ語初級・講読授業実施報告―
林 祐一郎

《先生》という言葉を、皆さんは何処で初めて見聞きしただろうか。これは、学校や病院で触れることの多い単語だ。あるいは、政治家や宗教家を指して使われることもある。画家や作家も対象である。いずれにせよ、自分より優位にある人物に対して用いられる呼称だ。学校や大学の教師は生徒や学生に知識を教え、病院の医師はその専門技能でもって患者を治し、運動家や代議士は人々の利益を代表し、宗教家は会衆にこの世界の在り方を説き、画家や作家は独特の表現で見る者を魅了する。そうした仕事は他の不特定多数には不可能なことで、皆には必ずしも出来ないことをやってのけるから尊敬されるのだ。

日本語における《先生》という呼称は、割合に大きな広がりをもった尊称である。ドイツ語には「博士 Dr.」や「教授 Prof.」という尊称もあるが、これらは成文化された明確な資格に応じた称号である。博士論文 Dissertation や教授論文 Habilitation を提出して、教授陣による査読を通過し、出版を通じて研究を世に問わないと、こう名乗ることはできない。しばしば「Herr/Frau」という敬称が「先生」と訳されることもあるが、それは相当な意訳ではないだろうか。《先生》というのは、個人の客観的な肩書ではなく、人と人との上下関係を反映した主観的な言葉なのだ。無論、周囲からの要請で、全く人間的に尊敬できない者をそう呼ばざるを得ないこともあるが。いや、その方が多いかもしれない。

筆者は今年の四月からドイツ語講師を務め、毎週のように《先生》と呼ばれる立場になったが、実のところ幼少期にも《先生》と呼ばれていたことがある。ただそれは、明らかに文脈が異なるだろう。筆者は非常に不器用な性分で、何をするにも遠回りして多くの時間を費やしがちだった。興味のないことには全く集中できず、人の話を聞いていないことも多かった。そんな筆者は、父から「先生、〇〇ですよ」などと度々揶揄われていた。ここでの「先生」とは恐らく、「お前は自分より劣位にある人間からも叱咤されてしまうほど間抜けなんだぞ」という痛烈な皮肉だったのだろう。

《先生》という呼び方は、互いの関係を示唆するという点では親近感を抱かせるが、それでもなお上下関係に基づいているという点では一種の疎外感を抱かせる。相手を高く見積もっているからこそ忌避する「敬遠」という態度があるように、一方的な敬意には人と人を遠ざける一面があるのだ。その意味で、《先生》という呼ばれ方を、筆者は素直に喜べない。

いずれにしても、教師は知性と教養で優越する権力者である。まずは、これを自覚することから始めたい。そして、生徒たちが《先生》という呼称に心から敬意を込めているのならば、彼らは教師の指示に概ね従うだろう。だとすれば、授業を担当するというのは恐ろしい仕事である。少しでもいい加減なことを教えてしまうと、間違ったことをそのまま身に付けられてしまうかもしれないからだ。例えば、毎週水曜二〇時一〇分から遠隔で実施した初級文法の授業では、その目的が基礎固めであるゆえに、尚更下手なことを教えられない。その『読むためのドイツ語文法』という教科書は、ドイツ語圏の有名な文筆家や思想家から多くの例文を引っ張ってきているから、彼らについても大外れしないような説明を分かりやすく付け加えなければならない。事実、筆者がかつて大学の授業で学んだことが、後になって間違っていたと発覚することもたまにある。

このドイツ語初級では、全一二回を通じてアルファベート、発音規則、動詞の現在人称変化、定動詞の位置と枠構造、名詞の性と格変化、冠詞・名詞の複数形、定冠詞類と不定冠詞類、否定文、男性弱変化名詞、不定代名詞、数詞、人称代名詞、疑問代名詞、前置詞の格支配、話法の助動詞、未来形、形容詞の格変化を教えた。教科書の構成からすれば、これは全一八課のうち第七課までであるから、単純計算で三分の一以上を終えたことになる。毎回各課の途中か最後の練習問題を宿題として課し、前半で宿題の答え合わせ、後半で新しい文法事項の説明を行うのが通例となった。毎回七〇~八〇分の授業で、丁寧に遺漏なく概説するのは簡単ではない。

前任者は比較的速めに文法教授を済ませ、実際にドイツ語の文章を読ませることを重視していたようだが、筆者は予習によって授業中の説明時間を短縮するよりも、ゆっくりとでも一つ一つ確実に基礎固めすることが大事だと考えている。だから、生徒の方から注文を貰わない限りは、文法理解を一年間かけてじっくりと固めることを重視したい。ただし、所々で教科書をそのまま読むような説明になってしまうことがあり、これは大きな反省点である。生徒が眠くなるような授業をしているのであれば、それは間違いなく教師に責任がある。

また、筆者が毎週月曜二〇時一〇分から担当した講読の授業では、報道記事や記録番組で時事問題を扱った。春学期の序盤では『ドイチェ・ヴェレ Deutsche Welle』の報道記事を読み、中盤から終盤ではドイツ第二放送 Zweites Deutsches Fernsehen(ZDF)の記録番組『テラ・イクス Terra X』による特集「ホーエンツォラーン論争―皇太子とナチス― Hohenzollern-Streit – Der Kronprinz und die Nazis」の字幕を翻訳したのである。こうした題材を教師が自身の政治的・思想的好悪で安易に語ると、知的に未熟な生徒を自分の都合の良いよう誘導してしまうといかねない。何かを思い通りに動かすというのは、子供時代に誰もが夢見る魔術なのかもしれないが、現実でそれが可能になるとしたら、これほど恐ろしいことはないだろう。

『ドイチェ・ヴェレ』については、音声付きで簡潔な「ゆっくりと話される報道 Langsam Gesprochene Nachrichten」の和訳を毎週二記事ずつ課題として与えた。これは、学習者の到達度が未知数であるため、最も無難で汎用性の高い素材を選ぼうと思ったからである。所々引っ掛かることはあっても、全体として円滑に授業は進んだと思う。だが、毎週最新の記事を予習範囲として提示しても、次回に翻訳が出来上がってくる頃には古くなっているため、やや消化不良の感は否めなかった。その場で即時和訳を生徒に求めるという手法もあるが、昨年度に初級文法を習い終えたばかりの人に求めるのは酷である。また、歴史学を志す者として当たり前のことだが、時事問題について概要を把握しておくことの重要性も痛感した。筆者は普段から、下宿先から鉄道駅へ向かう路上でドイチュラントフンク Deutschlandfunk による五分間のドイツ語まとめ報道を、乗車中にポッドキャストの日本語番組「ドイツのメディアから」を聴取していたため、受け売りである程度対応できたが、それでも不十分だと感じる。

中盤からは生徒さんの同意も得つつ、記録番組のドイツ語字幕を和訳することを課題とした。ここで取り上げられたのは、独裁政権に対する旧プロイセン王家・旧ドイツ皇帝家の協力を巡る論争である。これは、ホーエンツォラーン家の現当主ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン Georg Friedrich von Preußen(1976-)が、第二次世界大戦後にソヴィエト占領軍を経て公共の博物館や美術館に没収された建物や物品を、自分たちへ返還してくれるように求めたという、現在進行中の法的な交渉ないし紛争と大きく連関している。ドイツ帝国最後の皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセン Wilhelm von Preußen(1882-1951)がアドルフ・ヒトラー Adolf Hitler(1889-1945)の政権獲得に「著しい加勢 erheblichen Vorschub」を行ったのかどうかが、最大の論点だ。これを巡って、対立する二人の歴史家の発言が各所で挿入される。これを通じて、現代ドイツの知的雰囲気の一端も感じ取って貰えたかと思う。ただし、非常に興味深いが、非常に繊細なテーマでもある。だからこそ、歴史や時事に関する見識と共に、教師には一定の距離を保った慎重さも必要だ。

さて、《先生》と呼ばれる高みにまで上るような人々には、自分の研鑽と業績に対する矜持や、衆生を教導するという使命感を持つ者も多い。自分の思い通りに動かない、知的に未熟とされる生徒たちに、苛立ちを覚えがちである。厄介なのは、仮に教師の働きが醜い自己顕示欲や私的な憂さ晴らしを含んでいたとしても、政治的・社会的な「正義」を後ろ盾にした《安心安全な権力行使》になってしまうことだ。そんな先人たちの姿が教室の内外で認められると、こんな人間にはなりたくないという筆者の意思が益々頑なにされた。

しかし、生徒というのは教師が思うほど反抗的でもないが、従順でもない。教師が個人の人生や生活において占める部分など、ほんの一部に過ぎないのだ。大学や私塾となれば尚更で、授業を受ける者には選択の余地も大きい。筆者は幸いにも勤勉な生徒さん方に恵まれたが、対面にしろ遠隔にしろ、授業中の手抜きなど日常茶飯事のはずである。「真面目」な教師はこれを咎めるだろう。しかし筆者はむしろ、こうした怠惰や抵抗に希望を見出したい。それは、大学や論壇といった特殊な界隈で生計を立てる知的権力者の意見が、現実世界の多様な広がりの中で修正される、という可能性である。そもそも、自分の見識が世間から認められないことに苛立つ者は、批判的学問の担い手を自認しながらも、仮想敵にばかり自己批判を促して自分自身を省みていないか、自分がその一端を担う学問それ自体への信心が足りないのではないだろうか。正しければ、時がこれを証明する。それが歴史の審判である。

蓋し、教師の第一の使命とは、生徒集団を知的に教練することではない。そうではなくて、学問という特殊な世界観の何たるかを、良くも悪くも背中で示すことである。授業とは、一種の黙示録だ。だが、教師も一介の人間であって、全知全能の神の子ではない。その姿を見て、自分の知的成長を望むかどうかは、生徒個々人次第だろう。第二の使命が、生徒たちに意欲を失わせないことである。だからこそ筆者は、教室や自宅で学習することだけでなく、緊張感や義務感から解放された場所で個々の興味と英気を養う《遊び》の時間を、強く推奨する。生徒一人一人を知的に教練することは、ようやく第三の使命である。ただそれは、結局のところ人格の陶冶を意図したものでなければならない。

もっとも、こうした大胆な宣言が可能なのは、筆者が未熟な若造だからである。筆者は学部時代に家庭教師のアルバイトと高等学校での教育実習を経験した程度で、北白川学園から非常勤講師の職務を賜るまでは、まともな教歴など積んでいない。恵まれた自由な環境で教育に従事しているから、物事が上手く行かなった場合の責任を自分一人に求める余裕もあるのだろう。しかし、今後どんな困難があっても、この理念は規範として追い求めていきたいと思う。そんな筆者が宣言通りの《先生》と呼ばれるに相応しいかどうかは、生徒さん方の主観的な判断に委ねるほかない。