ジョブズとセネカ

福西です。

すがすがしい5月。かと思えば、次はじめじめした6月。気がつけば去年の今頃。時はあっという間にすぎてゆきます。そんなとき、ちょっと立ち止まって見るのも、必要かもしれません。

ご存じの方も多いと思いますが、次の文章をご紹介します(抜粋)。

‘You’ve got to find what you love,’ Jobs says(スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ)

Sometimes life hits you in the head with a brick. Don’t lose faith. I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.

人生は時にレンガで頭を殴る。信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きだ。それが私を動かし続けている唯一のものだと堅く信じている。

When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

17歳のとき次のような一節を読んだ。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」。私は感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。

Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life.

自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具だ。

ジョブズが17歳の時に読んだという、「毎日を人生最後の日であるかのように…」に寄せて、私はここで、以下のセネカの言葉を続けたく思います。

『人生の短さについて』より(試訳)

1.3
Non exiguum temporis habemus, sed multum perdidimus.
Satis longa uita et in maximarum rerum consummationem large data est, si tota bene collocaretur;

時の(temporis)少しを(exiguum)(短い時間を)我々は持っている(habemus)のではなく(non)、むしろ(sed)多くを(multum)我々は浪費してしまった(perdidimus)のである。人生は(vita)十分(satis)長い(longa)、すなわち(et)人生最大の関心事の(maximarum rerum)消費を(consummationem)(人生は)豊富に(large)与えられている(data est)──もし(si)(人生の)全体が(tota)うまく(bene)アレンジされたなら(collocaretur)。

1.4
non accipimus breuem uitam sed fecimus, nec inopes eius sed prodigi sumus.

短い人生を(brevem vitam)我々は受け取っている(accipimus)のではなくむしろ(non sed)我々がそうしてしまった(人生を短くしてしまった)(fecimus)のである。我々はそれ(人生)の欠乏者(eius inopes)ではなく(nec)、むしろ(sed)浪費者(prodigi)なのである(sumus)。

2.2
“Exigua pars est uitae qua uiuimus. Ceterum quidem omne spatium non uita sed tempus est.

曰く、「人生の(vitae)我々が生きている(vivimus)ところ部分は(qua)、それは少ない部分(exigua pars)である(est)」(人生は束の間ぞ)と。(しかし私が思うに)他のすべての期間は(ceterum omne spatium)、まさに(quidem)人生(vita)ではなく、(non)むしろ(sed)(ただの)時間(tempus)なのである(est)

死を意識しないうちは、「短い」と感じる──朝に鏡を見続けたジョブズの姿勢は、上のセネカの言葉と通じるものがあると思います。