「お守りにできそう」なラテン語の詩句

福西です。ラテン語ネタです。

以前、原文を調べたり、ちょい訳するためのツールとして、The Latin Libraryペルセウス・プロジェクトご紹介しました。(こことか、こことか、ここで)

日本語訳で読んで、ふと気に入った(気になった)箇所。それを原文で探し出し、自分なりに訳すことは、時間がほとんど止まるような経験だと思います。

そこで、私も「やって」みました。

この本で「いいなあ」と思った箇所を、原文で探して訳してみました。

わたしは建て終えた、記念碑を──、青銅にもまして世々に滅びず、王者らの据えしピラミッドよりも高く、雨の腐蝕も、荒れに荒るる北風も、はた、数も知れず続きゆく年月、去りゆく時代(とき)の流れも毀つ能わざる、そんな記念碑を──。

わたしが死するとも、そはわたしの一切(すべて)ではなく、わたしのうちで、葬礼の女神(リビティーナ)をまぬがれる部分(ところ)も大きいであろう。さらにさらに、このわたしは、後の世のひとの讃うるところとなって、新たに育ちゆくことであろう。カピトーリウムを、祭司の長(おさ)の、黙せる処女(おとめ)とともに登りゆかむかぎり、

─ホラーティウス『歌章』(藤井昇訳、現代思潮社)3巻30歌1-9行

以下、それに対する試訳です。

1-5

Exegi monumentum aere perennius
regalique situ pyramidum altius,
quod non imber edax, non Aquilo inpotens
possit diruere aut innumerabilis
annorum series et fuga temporum.

記念碑(『歌章』という作品)を(monumentum)、青銅にくらべて(aere)より丈夫に(長持ちするように)(perennius)私は完成させた(exegi)。かつ(que)ピラミッドたちの(pyramidum)王族の建造物にくらべて(regali situ)より高く(altius)(私は完成させた)。

その記念碑を(quod)、貪欲な雨が(edax imber)、制御不能な北風が(inpotens Aquilo)、倒壊させることは(diruere)できない(possit:従属文中の接続法現在)。はたまた(aut)歳月の(annorum)数え切れない連続(innumerabilis series)と(et)、時の(temporum)逃亡(fuga)(過ぎ去る時)も(風化させることはできない)。

6-9

Non omnis moriar multaque pars mei
vitabit Libitinam; usque ego postera
crescam laude recens, dum Capitolium
scandet cum tacita virgine pontifex.

完全には(omnis)私は死なないのだろう(non moriar)。そして(que)私の(mei)大部分は(multa pars)リビティーナ(鎌を持つ女神、死神)を(Libitinam)まぬがれるだろう(vitabit)(私が死んでも死ぬのは私という部分であって、あとに詩の誉れが残るだろう)。

我こそは(ego)いつまでも(usque)、未来の誉れで(postera laude)新しく(recens)(私は)大きくなるだろう(crescam)──神官が(pontifex)沈黙する乙女を連れて(cum tacita virgine)カピトーリウムを(Capitolium)登る(scandet)限り(dum)

 

私は思います。

ホラーティウスさん、すごいなあ、と。

「終わりを与えること」は、いつだって、だれだって、難しい。

それをやってのけた、ということは。

詩に限らず、どんなジャンルでも、終わりが与えられた時点で、私は「すごいな」と思います。

終わった時点から、それは世の中(の読者)にとって、「生まれた」ものになります。