「ヘック・オリム・メミニッセ・ジュヴァビット」

「わたくしは、この後もみなさんのことを忘れませんが、どうか皆さんも時々はわたくしのことを思い出して下さい。『ヘック・オリム・メミニッセ・ジュヴァビット』……。これも訳す必要はないでしょう」
──『チップス先生さようなら』(ヒルトン、菊池重三郎訳、新潮文庫)

福西です。

ヘック・オリム・メミニッセ・ジュヴァビットとは、ラテン語の

“(forsan et)haec olim meminisse iuvabit.

(フォルサン・エト・)ハエク・オーリム・メミニッセ・ユウァービット

のことです。

これはウェルギリウス『アエネーイス』の第1巻(203行目)に出てくる言葉です。

リーダーであるアエネーアスが、海上を嵐に翻弄された後、命からがら漂着した土地で、部下を励ますために言った台詞です。

直訳すると、

「おそらく(forsan)これらのことを(haec)もまた(et)いつか(olim)思い出すことが(meminisse)喜びとなるだろう(iuvabit)」

となります。

チップス先生は、こうしたいつかラテン語の授業で説明した内容に引っかけて、自分も君たちを思い出すから、君たちも時々は私のことを思い出してほしい、と強調したかったのでしょう。

さて、原文では、この直前(4〜5行ほど前)にもう一箇所有名な台詞があります。

『アエネーイス』1.198-199
O socii—neque enim ignari sumus ante malorum—
O passi graviora, dabit deus his quoque finem.

「おお(o)、仲間たちよ(socii)、決して(enim)これまでに(ante)不運を(malorum)我らは知らかったわけではない(neque ignari sumus)。おお(o)今よりも重大なことを(graviora)耐えることを(passi)(我らはしてきた)。神は(deus)これらのことに(his)もまた(quoque)終わりを(finem)与えて下さるだろう(dabit)。」

“his quoque”(これらのことにも)が、前述の詩句、”et haec”(これらのこともまた)と、響きあっています。

ちなみに、この詩行の deus にあたるユピテル神は、「私は(ローマ人となるべき民族に)際限のない支配権を与えた」(imperium sine fine dedi)と、天界で宣言します。もちろん、人間である主人公アエネーアスは、それを知りません。

支配権(imperium)に終わりがないということは、それに伴う苦しみもまた終わりがない(新しい苦しみが待ち受ける)という構造にもなっています。その「苦しみの運命」を、いつ主人公が積極的に(過去から未来に向かって)受容するかが、『アエネーイス』全巻を通じてのテーマとして描かれています。

 

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