岸本です。
あっという間に、日本のみならず世界の情勢も変わっていく。
前回から扱ってきたアフリカでも、それが実感されました。
今回はアフリカのイスラーム化と、14世紀以降の中央アジアを中心に議論していきました。
アフリカでは、西アフリカ、中央アフリカ、東アフリカ沿岸からイスラーム化が進んでいきました。
西アフリカでは、ガーナ王国の後、マリ王国やソンガイ王国の支配者層がイスラーム教を受容し、イスラーム化が進んでいきました。
中央アフリカでも、カネム王国、ボルヌー王国を通して、同様にイスラーム化が進みます。
これらの地域は、サハラ砂漠を経由した隊商交易、メッカへの巡礼など人々の移動によって繁栄しました。
特に、マリ王国の首都であったトンブクトゥの繁栄は、イスラーム世界だけでなく、ヨーロッパにも広がりました。
生徒さんとは、先週マリ北部をイスラーム過激派が占領し、西アフリカ経済共同体が部隊を派遣したとのニュースが話題になりました。
マリなど西アフリカは、植民地時代や現代史でもあまり話題に上りませんでしたが、このイスラーム化を押さえておくことで、紛争の背景を少しでも理解できたと思います。
他方、東アフリカでは、交易都市が10世紀以後に各地で発展しました。
この地域で現在も広く使われているスワヒリ語は、アラビア語と現地のバントゥー語が組み合わさったものです。
当時は商業の言葉として使われていたものが、今では東アフリカの共通語となったことに、商業と結びついたイスラーム文化の力強さを感じさせます。
さて、イスラーム世界の東側は、13世紀にモンゴル軍の侵入をうけましたが、その後建てられたモンゴル国家は、多くがイスラーム化しました。
そのうち、西チャガタイ=ハン国から新たにティムール朝を打ち立てたのがティムールでした。
中央アジアに建国されたティムール朝は、東西南北の全方位に拡大し、イスラーム世界の東側のほとんどをその支配下に入れました。
しかし、その軍事的拡大以上に、学芸を振興し、いわゆるトルコ=イスラーム文化を成立させたことは、大きな点でしょう。
生徒さんは、トルコ語による文学の誕生に興味を持ってくれました。
確かに、文字はアラビア文字でしたが、今までアラビア語やペルシア語で書くのが当然だったものが、初めてトルコ語によって編まれたことの衝撃を議論していきました。
このティムール朝は、ティムールや第三代のシャー=ルフといった支配者の力量に依存していたこともあり、彼らが没した後は衰退していきました。
中央アジアで彼らの後を継いだのがウイグル人でした。
ウィグル人から分離したカザフ人も含め、現在のウズベキスタンやカザフスタンなどにすむ民族が形成された歴史はあまり触れられることはありませんが、現在の中央アジアを考える上で重要な点でしょう。
今日で秋学期は最後ですが、冬学期はティムール衰退後のイラン・イラク地方から議論していく予定です。