福西です。先日の記事の補足です。
一人で『アエネーイス』を読んでいると(また、読んだことのある方は)、ふと疑問に思う(思った)ことはないでしょうか。
どうしてこの作品が、ローマ文学の「黄金期の作品」と呼ばれているのか?
ダンテをはじめ、他の文学作品にもその名が登場し、「これはよいもの」として読み継がれているのか?
と。正直、ぱっと読んだだけでは、どこがサビなのか(『イーリアス』や『オデュッセイア』よりも)、分かりにくいのではないかと思います。
なにせ大部ですし。
しかし、サビの部分を押さえれば、たとえ日本語訳を介してであってもです、「これほど」の作品が2000年前に書かれていたことに、きっと驚きを禁じ得ないと思います。人間の心理や葛藤の場面を、心にくいほど細やかに表現した箇所が多々見つかります。そしてあらためて、読めば読むほど、その驚きは増していく、と思います。
この『西洋古典を読む』クラスの講師は、山下大吾先生です。
どこがサビかは、大吾先生に聞けば、たちどころにおさえることできるでしょう。そして上記のような疑問はじわじわと氷解するでしょう。
要するに、「指南役」を得れば、道に迷うことがなくて安心、というわけです。
そしてルート(サビ)をおさえたのちの寄り道(サビ以外の何気ない表現)が、かけがえのないものとして、際立ってきます。(それが全文を音読する醍醐味です)
さらに、原文(原典講読)に興味のある方には、一つオススメの方法があります。
日本語訳で気に入った(また気になった)詩行を見つけ、そこを原文で確認することです。
原文はここから簡単に入手できます。それを指さしながら、「ここは、なぜこういう訳になっているのか」「この日本語は、意訳でそうなっているのか、それとも直訳に近いのか」という疑問をぶつけてみると、よいでしょう。
そうすれば、このクラスがきっと、原典講読への「橋渡し」にもなる、と思います。
山下(太郎)です。
「西洋古典文学を読む」クラスではセネカの「人生の短さについて」も読まれましたね。
「アエネーイス」はもう10巻まで進んでいたのですね。
亮馬先生もラテン語で最後まで読み通された方なので、授業でラテン語を扱わないとしても日本語訳の工夫やどうしても日本語訳で表現しきれない部分のニュアンスの解説も十分受講生に伝えてくださったでしょうし(ブログで感じておりました)、その点とても魅力的なクラスでした。大吾先生はホメロスの講読も現在担当されていることもあり、そちらとのつながりも「余談」としてお話しくださるでしょう。またご専門のスラブ文学における「アエネーイス」の影響も受講生のニーズに合わせていくらでもお話しくださると思います。これからもとても楽しみです。本当に贅沢な時間が流れていたと思いますし、これからも流れることを確信しております。
山下先生、福西です。
フォローのコメントをありがとうございます。
>大吾先生はホメロスの講読も現在担当されていることもあり、そちらとのつながりも「余談」としてお話しくださるでしょう。またご専門のスラブ文学における「アエネーイス」の影響も受講生のニーズに合わせていくらでもお話しくださると思います。
まさに「贅沢なクラス」だと思います。ぜひみなさまも、お集まりください!